保険業界をめぐる諸問題の改善・解決に向けて、政治や役所頼みではなく、保険ビジネスに関連する一人ひとりが知恵を出し合おう。経営者、アクチュアリー、企画・営業担当、若手社員、営業職員、代理店、あるいは研究者等々、保険・金融ビジネスに関わる人のご意見を広く募集します。どんどん「メール」に入れて下さい。商品、営業、資産運用、経理、金融技術、契約手続き、法制面等各面で「こうすればどう?」といった知恵を出し合いましょう。本ページの掲載にあたっては、ハンドルネーム、頭文字、匿名なんでもOK.とくに、旧来の保険制度論の枠を超えたかなりユニークな提案や、規制緩和を前提としたアプローチ等を大歓迎します。
 ただし、このページは問題解決のためのテーマを設定し、チャレンジ精神旺盛な保険・金融業界関係者、研究者等の意見集約を目的としています。誠に申し訳ありませんが、テーマに対応しない風評まがいもしくは風評期待の批判、具体的な問題解決につながらない一面的な感想・苦情などは掲載しないことがあります。では、ご意見をどうぞ。なお、一般読者の方の保険会社への意見・苦情などは別途「読者の広場」にて掲載します。

index
●生保の逆ざや改善策(終了) ●保険会社への風評、格付(終了)
●生保構成員契約規制(受付中) ●予定利率引き下げ制度(終了)
●銀行の保険窓販@(終了) ●無認可共済について(受付中)
●銀行の保険窓販A全面解禁(受付中)



●「生保の逆ざや改善策」について

 
●現物給付のメリットを付加した転換制度を
 ではまず、皮切りとして当サイト主宰者による下記の単純な思いつきに対して、皆さんのご意見をお待ちします。
 
 もう5、6年前から生保会社の逆ざやや転換問題が取り上げられるたびに、契約者の納得ずくで保険会社の収支全体をやりくりする方策として、次のような考え方ができないかと呼びかけている。逆ざやすなわち利差損とは言い切れないものの、生保経営が利差・費差・死差のバランスで成り立っていることから考えるなら、例えば転換制度の選択肢として利差を将来の費差すなわち現物給付に置き換えるような考え方はできないか。
 
 予定利率の高い旧契約を予定利率の低い死亡保険新契約に転換させる行為は死亡保障に対する対価を恣意的に引き上げるものとして、契約者への逆ざや転嫁との誹りは免れない。しかし、少子高齢化の下、生存保障ニーズが高まっており、いまや死亡保障だけが契約者の望む生保の主体的機能とはいえない。となれば、契約者側の保障の選択肢として、旧契約の予定利率と転換後契約の予定利率との差(契約者から見れば旧契約の保険料割引率と転換後契約の割引率の差)を例えばポイントプログラムに反映し、介護・健康等の現物給付サービスを提供することを約すような選択肢があってもいいのではないか。生保経営の現状に照らして利差損の解消も貢献(収益改善)ポイントとしてカウントしうる。旧契約の予定利率が高く保険会社にとって利差損の大きい人ほど、転換後契約の介護・健康サービスのポイントが多くなる仕組みとする。
 
 もちろん契約者には転換にかかる重要事項の説明を励行し、納得ずくで選択してもらうことを前提とすることはいうまでもない。いうなれば転換メニューの多様化であり、一定の死亡保障を備えている契約者には有効な選択肢の一つになろう。保険会社にとっては、超低金利下、自助努力で利差損の解消は困難だが、現物給付にかかる事業費はリストラ努力でカバーできる。
 
 問題点としては、利差と費差をすり替えての単なる逆ざやの先送りと受け止められる懸念があることだが、もちろん早期是正措置の中で破綻前の予定利率引き下げが現実論になりそうな非常時にあって、生保への信用不安が高まっている現状だからこそのアイデアである。また、将来にわたって安定的な介護・健康等現物給付サービスを約すものである以上、一定のソルベンシーマージン比率なり将来収支分析指標を満たす保険会社に限って、このような取り扱いを認可する必要がある。さらには保険会社にとって最大の収益源である定期性商品には、このような転換の選択肢は将来の費差縮小にもつながり収支上効果的でないこと。逆ざや負担の大きい養老・単体終身・年金等貯蓄性商品はそれ自体が生存保障ニーズに関わるものであり、それらの契約者にとってこのような選択肢はさほど魅力的に映らないこと等の問題もあろう。現行法制に縛られるなら、特定利益の供与の問題もあるかもしれない。
 
 生保会社の破綻や既契約の予定利率引き下げは大小の差こそあれ契約者に損害を与えるものであることは論を待たない。であるならば、保険会社と契約者が合意できる範囲でお互いに損をしないあらゆる方策を議論し、実行すべきだ。単に逆ざやを抱える生保会社批判を百万遍繰り返したところで、トクするものは誰一人いないのだから。(2001年、山野井良民)


●株転後の株式割り当てを条件とした転換制度の導入を
 先ず、現在日本経済の脅威となっている生保の逆ザヤ問題に対して、建設的な解決策を見出さんと挑まれる山野井良民氏に対して敬意を表したい。私も薄学であり、不十分な点が多々あるとは思うが解決策の一助となればと思い意見を述べたい。
 
 本来、生保逆ザヤ問題の論点整理が必要だと思うが、まだ論点整理ができるような段階ではないと思うので、取り敢えず今回は対象を相互会社に絞って私見を述べる。以下、このHPを見られる一部の方には不快にさせる点もあるかと思うが御容赦頂きたい。
 
 私は「株式会社化を前提として、株式割当を条件とした契約転換制度の創設」を提案したいと思う。
この意見は、逆ザヤ問題の解決には予定利率の引き下げが不可欠であるとの認識に基づくものの、単に予定利率を引き下げることは「破綻」しない限り保険業法上無理なため、契約転換制度を活用することで予定利率の引き下げを行うというもの。契約転換制度を活用する点においては山野井氏の意見の延長線上にある。

 しかし、これだけでは契約者は積極的に転換を行うことはしない。何か見返りが必要である。
 そこで転換をする契約者には、将来、相互会社が株式会社化することと株式会社化した際の経営者候補(これは当然いわゆるアメリカ的な社外取締役を中心としたものであり、いわゆる「たたき上げ」の取締役ではない)を約束した上で、予定利率を引き下げた分(保険料アップ分)に相当する株式を割り当てるという形をとり、形式上契約者に転換によるデメリットが生じないようにする。
 
 しかし、これでもこの仕組みが機能するとは思えない。
そこで、予定利率の引き下げ割合を契約者が選択できるようにする。そして引き下げ割合が多いほど保険料アップ分以上の株式を割り当てられるようにする。この際マイナスの予定利率もありうる。
 さて、株式を割り当てられた契約者は自らの契約と株式価値を守るため、自ら経営に参加する。株主総会での発言を通じて、自分の持つ株式の価値を高めてくれる経営者を選ぶことで、過去の予定利率引き下げ(保険料アップ分)以上の株式配当を目指す。更に、株式が上場されれば株価上昇による保険料アップ分以上のキャピタルゲインも期待することができる。
 
 このような「見返り」があれば本来の転換の時期を待たずして多くの契約者が転換を行い、予定利率の引き下げを早期に行うことができる。そうすれば経営の健全性が高まり、上場時の株式の価値も上昇が見込める。更に優秀な経営者を選ぶことでより一層株式の価値を高めることができる。
 
 しかし、これには株式会社化して経営効率を高めることができる経営者を探す必要がある。既存の経営者にとっては脅威かもしれないが、この私の考えを実行するだけの決断ができる経営者であれば、株式会社化しても引き続き経営者として十分通用するものと思う。
 残念ながら私もまだ勉強不足でありこの程度の意見しか考えつかないが、取り敢えず何かの手掛かりにでもなればと思う。(TAO)

●一斉に予定利率を引き下げ、配当で還元する
 正直に言って、業界内にいれば『逆ざや』の解消の特効薬は1つしかないのは誰でも分かるはずです。
 「予定利率の引き下げ」を気軽に口にできない理由もまた、誰でも分かることです。
 
 それではどうしたいいのか。これは、ほんとうの『思いつき』ですので、具体的な中身は全く構築されておりませんが、【全社が一斉に予定利率を下げる。ただし、高い予定利率の契約については、配当(あるいは配当に準じたもの)による還元を何らかの形で約束する】ということはできないか。もちろん、配当については、各社の体力によって当然差がつくわけですので、依然として破綻に対するリスクは残るわけですが、何らかの対策になるのでは、と思います。
 根本的な解決にはなりませんが、逆ザヤを他の利源で穴埋めする事よりは筋が通るのではないでしょうか。 (アディタム生)

               
●国が長期の高クーポン債を大量発行し、生保が引き受ける
 『逆ざや』の解消に良い方法があれば、既に取られているはずです。当然、「予定利率の引き下げ」が有力なものと考えられるのですが、全社一斉というのは、契約者の感情もありどうかと思います。やはり、各社の経営努力が当面求められるのが、現状と考えます(解決策にはならないか)。 後は景気と金利次第の運命としか言えない。などと、模範解答を悲観的に言っても仕方ないので、馬鹿な『夢物語』を一つ出してみます。

 『国が、長期の高クーポン(5%位かな)債を多量に発行し、生保が引き受ける』のはどうですか。
生保の現在保有している国債の利回りが1%台から5%になれば、生保の利回り向上が大きく図られ 『逆ざや』解消につながります。現状から判断すると、破綻がまだまだ終わりそうにもなく、いずれは公的資金の問題が出てきます。そこで、補助金や交付国債といった銀行の救済策の延長で資本注入的発想で事が取られるのですが、これではすべて破綻処理の円滑遂行でしかなく何の解決にもなりません。
 
 国が何らかの負担を覚悟し、議論するのであれば、どうせ国債を無責任に何百兆円も発行しているのだから、高クーポン債の発行もできるような気がします(実のところ、国の負担は大きく実現の可能性は本当は無いのですが)。
 『夢物語』で申し訳ないのですが、山野井氏は別として、全く無責任な自称保険評論家諸氏が生保バッシングをやっているよりは、まともな意見のような気がするし建設的だと思います。業界にとっても無理な意見を世論に変えていく努力も必要かもしれません。(靖子)

●「予定利率スワッププラン」はどうだろうか?
 長短金利スワップ等、金融デリバティブ技術の発展によって様々な金融取引が可能となっているが、問題となっている予定利率も同様の視点で別なリスクへと転換できないかという視点で考えてみた(予定利率スワッププラン)。
例えば満期までの予定利率を引き下げし、死亡保障を増額する。仮に満期前の一定期日までに市中金利が元の予定利率を賄える水準に上昇した場合には、予定利率と死亡保障を元に戻す。予定利率が元の水準に回復しなかった場合には、死亡保障を割り増したまま満期まで継続する。

 まあ、ワラント債というか転換社債みたいな選択肢を顧客に提示して、死亡保障を重視したり長期的には金利が上昇すると予測している顧客は、望んで予定利率の引下げに応じるてくれるのではないだろうか。FT(financial ・technology)


●生保専用国債の発行、利下げと保険料控除とのリンケージを
 ■ 逆ザヤは、予定利率と実際に保険会社が実現しうる利回りの差でありますから、今後暫くの間は低金利政策が続くであろうこと、保険会社が予定利率を上回るだけの有効な運用手段をもちえないであろうこと、からして、毎年発生し、根本的な逆ザヤの解消には、「年間の逆ザヤ額×相当年数」の金が必要です。おそらくは1社で兆の単位を超えるものと推測されます。
 
 ■ 単純に言えば、予定利率を確保しうる金利の「生保専用国債」を発行していただき、生保が購入することで、予定利率を確保することが可能である、ということかと考えます。
私共には、銀行救済のあおりを受けているという被害者意識はございますが、そんなものを今後何十年もタレ流して発行していただくことは社会的なコンセンサスが得にくいし、資産の劣化した生保においては購入資金が出ない可能性もありますので、実現性は低いものと判断いたします。
 
 ■ 数年前の団体年金の予定利率引き下げにおいては、過去のものについてはVを固定し、将来にむかっての予定利率を引き下げました。おかげで、顧客の流出も激しく、必ずしも有効ではありませんが、将来にむかって逆ザヤを抱え続けることは回避できました。今回、個人保険・年金において、同様のスキームをとる場合、資産が他の業態・商品に流出し、寿命を縮める可能性があります。
 そこで、思い付きで恐縮ですが(細部も未検討ですが)、生命保険料控除、年金控除を使っていただき、所得税控除分で元々受取れるはずであった金額に近いものを確保できないだろうか、と考えます。
 
 ■ 即ち、一旦、過去の責任準備金を凍結し、新規分の予定利率を一律に引き下げることとし、逆ザヤの将来的な負担を解消します。顧客においては、過去に高い予定利率をもっていた契約については、保険料控除の額(%)を高く設定することで、実質的に将来の受取り額に近いものを確保させ、それによって顧客への目減り感を解消する、というものです。(税収減を招きますが、絶対に帰ってこない銀行への公的資金投入と不良債権買取機構への資金提供の規模からして驚く水準ではないと考えます)
 
 過去においても低い(そんなに高くない)予定利率のものについては従来どおりの控除額(%)を確保することが条件です。(新規分の減額を引き換えにすると、ニューマネーが入らず、破綻の続出を回避できません)
 生保の保険料控除については、毎年拡大・縮小を争っている現状がありますが、生保業界救済にむけて「一部拡大」し、将来にむけての予定利率引き下げとバーターできないだろうか、という考え方です。時限的に10年間とか15年間であれば、控除の一部拡大は可能ではないでしょうか。
 もっとも保険料控除枠が毎年揺らいでいるようでは実現困難な話しですが。(M・A)

 ●逆ざや負担を他者に転嫁するか、先送りするかの議論でしかない
 「逆ざや」の対応策については、当欄でこれまで議論されているが、単純化して整理してみたいと思う。
単純化すれば「逆ざや」対応策は、2つの方式しかないのではないか。保険会社の抱えている逆ざや負担を他者に転嫁するか、或は、ポイントの付与など違った形に転換し先送りするか、である。
 
 他者への転嫁の例は、予定利率の引き下げと、高クーポン国債の引受けである。予定利率の引き下げは、契約者に対する負担の転嫁であり、高クーポン国債の引受けは、国家財政すなわち国民全体への負担転嫁である。
 一方、ポイント性やスワップの活用などは、それが等価で行われるのであれば、単に負担が先送りされているに過ぎず、生保を巡る環境が変わらないのであれば、将来の負担が増大することで破綻は避けられないと考える。そうすると結局は契約者負担(或は国民負担)に結び付いてしまう。
 
 勿論、生保を巡る環境が好転していれば、破綻は避けられるが、逆に悪化していれば、破綻時の契約者負担は一層重くなる。生保を巡る環境がこれ以上悪化することはないだろう、との前提に立てば、負担の先送りは一つの方法ではあるが、バブル崩壊後の銀行を中心とした不良債権処理が、同様の理由で先送りされ、結局はより大きな国民負担が強いられたことを、忘れてはならない。
 
 但し、ポイント性やスワップの活用は、顧客から見れば、それが等価であるか容易には判断できないことから、こうしたスキームを利用することで、契約者に密かに負担を転嫁することは可能かもしれない(但し、この方法は、2つの方法の折衷案と言える)。
 
 要するに、将来の「逆ざや」負担額の現在価値が、現在の実質純資産を超えているのであれば、その解決策は、誰かに押し付けるか、問題を先送りする方法を考えて環境の好転を神に祈るか、の2つの方法しかないということである。
 このように単純化して考えた場合、先送りで損失を拡大するリスクを取るよりは、誰かに負担を押し付ける方法が、わかりやすいのだろう。押し付ける対象が、国家財政であるか、契約者であるかは議論の別れるところである。自己責任を求める考え方に立てば、契約者であり、それが無理と判断するのであれば国家財政ということになる。
 
 これは、現在の「逆ざや」の原因をどのように考えるかであり、また、加入者に自己責任を問うことが納得的であるかの判断であると思う。「逆ざや」の対応策を考えるに際しては、結局は小手先の技術論ではなく、こうした議論が必要なのであろう。(要諦)

●日米欧の金利スワップによる予定利率の軽減策
 今度は金利スワップを用いた新たな案を考えてみました。金融技術の専門家によれば、為替スワップは為替と金利はトレードオフの関係にあるので意味が無いと言われましたが、一応何かの手掛かりになればと思い取り敢えずの案として提案したいと思います。円とユーロのそれぞれの現在の金利水準、為替水準を確認する必要があります。

<日欧間の金利スワップによる予定利率の軽減>

【仮定1】
              固定金利       変動金利
  J:日本の生保   4%(円建て)    4.9%(ユーロ建て)
  E:欧の会社    6%(ユーロ建て)  4.4%(ユーロ建て)

  為替:1ユーロ=100円。為替予約は行わず利払いの都度その時点の為替で金利交換する。
  4%は現在生保が抱えている既存契約の平均予定利率の水準を想定しています。 

【スワップ図】
              4%支払     6%支払
  固定金利の借入←−−−−−− ←−−−−−−−−−
    (4%)                J  交換(為替リスク)  E             (4.8%)
                         ―――――――――→ ―――――――→変動金利の借入
                             4.9%支払    4.4%支払

 Jのメリット:支払金利:4%+4.9%= 8.9%
        受取金利:         6.0%
        ネット金利:        2.9%支払(<4%)で予定利率4%を軽減
 Eのメリット:支払金利:4.4%+6%=10.4%
        受取金利:         4.9%
        ネット金利:        5.5%支払(>4%)であり変動金利4.4%より高い水準となり、メリットの有無はEがどのような目的でスワップを行うのかによる。
ここでは、「欧の景気は今後拡大すると見込まれ、変動金利より固定金利で借入ることで将来の金利コストを抑制することができる」とEが見込んでいると想定した。

【仮定2(1E=150円)】
 Jのメリット:支払金利:4%+4.9%×150/100=11.35%
        受取金利:   6.0%×150/100= 9.0%
        ネット金利:2.35%支払(<4%)で予定利率4%を軽減
 Eのメリット:ユーロ建てで支払えばよく、ネット金利5.5%支払(>4%)は不変。

【仮定3(1E=50円)】
 Jのメリット:支払金利:4%+4.9%×50/100=6.45%
        受取金利:   6.0%×50/100=3.0%
        ネット金利:3.45%支払(<4%)で予定利率4%を軽減
 Eのメリット:ユーロ建てで支払えばよく、ネット金利5.5%支払(>4%)は不変。

以上です。論理のおかしい箇所があればご指摘下さい(TAO)。

●もしかして生保救済ならぬ銀行救済のための利下げかしら?
 
「読者の広場」で回答したとおり、世の中時々ヘンなことがまかり通るな。このたび、金融審議会で生保既契約の予定利率引き下げを容認する妙な報告がまとめられた。おおむね相互会社の社員自治による保険金削減規定(旧保険業法46条)を復活させる趣旨だが、当事者の生保業界ですら「使えない法律」として、すでに認識が一致している(進言した会社を除き)シロモノ。いわずもがなだけど国民経済とは関わりのない存在だな、政府審議会ってのは。一人くらい役所の事務局任せにせず、保険業界の調査をしてみようというのはいないのかな。まさか役人がつくったペーパーの意味がよく分からない委員がいたわけでもあるまいに。学者はこの種の場ではなく一途に学問の場を通じてキャリアアップを目指して下さい。

 これにより、既契約の予定利率引き下げに踏み切るような保険会社があったら教えて下さいな、委員の皆さん。昨年施行の安全ネットに関する法律は一体なんだったのでしょうか。専門家が真面目に取り組んだ日本アクチュアリー会による将来収支分析もまさか役所の建前として扱うつもりじゃないだろうな。
 
 しかしまあ、護送船団行政真っ盛りだった当時のMOF官僚OBの相沢さんは何を慌てているのかな。誰に恩を売ろうとしているのかな。よほど更生特例法が適用されると具合が悪いんだろうな、誰かは。それにしてもこのような手合いに誰が進言したのかな〜保険業界ではほぼ特定されているようだけどね。いかにもタイミングの悪い進言だね、これは。

 一連の破綻生保の処理が終わってやっと生保破綻連鎖の休止感が出てきて、契約者自ら進んで資産を失うことになる解約騒動が収まるかにみえたこの時期に、何を考えているんでしょうか。おかげで体力
が落ちている保険会社の解約が、その種の輩の風評リスクによりまたぞろ高まるだろうから、いや、本当にご期待通り「使える」ようになるかも。つまり、体力の落ちている会社ではないってことだね、事前利下げの進言に及んだのは。

 
今後の破綻懸念に向けて、とりあえず一服感のあるいまのうちに、個別会社の判断で生きているうちに条件変更できる法整備を行っておくという、行政自体にふりかかるリスク回避を狙ったものかしらん、常識的には。

 96年の新保険業法施行に際して、行政命令による条件変更(旧10条3項)は憲法上の財産権の侵害にあたる懸念があること、旧46条は相互会社の契約者=社員といえども現実には株式会社の客と同じ認識で保険加入していることから、いずれも削除されたもの。いまの契約者は加入時に相互会社の社員と株式会社の客の違いについて説明を受けておらず、実際にこのような法律をつくってもトラブルは避けられない。消費者契約法、金融商品販売法の立法趣旨に照らしても分かるように、まさか事後の説明でもクリアできるなんて考えている連中はいないだろうけど。業法改正により社員からの訴訟がいくらかやりやすくなったから、どこかの会社がまかり間違って実行すればさすがにこればかりは社員訴訟が現実のものとなるだろう。
 
 もし、どこかの保険会社が個別に予定利率を引き下げることを目的にして臨時社員総代会を召集したら、大量解約が発生(まさか社員総代会承認前の解約防止措置なんて常識的に無理だろう)し、結局破綻に追い込まれるだろう。なんとか社員総代会が開催できたとしても、生きている会社の保険金削減に同意するような契約者は誰もいないだろう。
 
 このように保険会社自体が「使えない」法律として認識が一致している法律をいま、何故つくるのか?そこが問題です。破綻会社に適用される更生特例法では銀行が貸し込んだ巨額の劣後ローン等の債権放棄が行われる。つまり、すでに保険会社に巨額の金を貸し込んでいる、ないしは体力が落ちている保険会社に今後さらに巨額の金を出さざるをえない銀行としては、更生特例法が適用されると大変困るわけだ。保険会社が更生特例法適用の申請をしないという担保がなければ、銀行は資金協力に応じにくいというわけだ。その意を体して進言に及んだ一部の保険会社や政治家や役人や、あるいは役人の意を体して報告をとりまとめた審議会委員がいるというわけだ(以上すべて筆者の推理です、念のため)。
 
 昨今は、将来の救済的買収の名の下に行われる経営統合策として、体力の落ちた保険会社→破綻前利下げ(逆ざや改善)→株転→大手生保による買収という新規ルート開拓説まで囁かれているほどだ。いずれにせよ、生保救済ならぬ銀行救済のために善良な契約者が泣きをみるようなことは、おてんとうさまが許しませんて。余りにも斜め読みし過ぎでしょうか。ご批判をお待ちします。(2001年、山野井良民)

<終了>

●銀行の保険窓販拡大について@

 
●実質的に銀行系代理店の業務分担調整でしかない。すべては消費者の評価=市場原理にまかせろ
 ★議論のはじめに全体像を書いてみよう。さあ〜てと、皆さん長くなるから飛ばし読みでOK。日本のバンカシュアランスには2つの形態がある。したがって窓販の議論には常に表と裏がある。銀行関連の保険流通形態の1つは古くから存在する金融機関別働体代理店による保険販売で、金融機関本体関連の顧客紹介(書面または口頭で顧客からの同意を取り付ける必要がある)により、主にアウターマーケットに生損保商品を販売している。ちなみに日本社最古の東京海上の第1期営業報告書によれば、同社創立の1879年の8月に同社の第1号代理店として函館代理店に委託した旨の記載があるが、これは第百十三銀行の代理店であり、すなわち日本の損保代理店のルーツは金融機関代理店なのである。銀行の荷為替業務関連の貨物保険を取り扱っていたもので、現在の類別で言えば本体代理=窓販類似の形態だったように思われる。興味深いのは、銀行による保険販売をめぐる議論はなんと百年以上も変わっていないようで、上記の金融機関代理店が誕生して20年後の1899年に大蔵省が銀行の関連会社規制を実施、銀行への保険代理店委託が不許可となった史実がある。
 
 ☆最近の金融機関代理店をめぐる規制では、1975年に大蔵省が5条件の「適正化通達」を発出。これにより、金融機関代理店は適正化措置済みのいわばプロ代理店として法規制上認知されたことになる。さらに、98年12月:公認会計士協会監査実務指針の公表、99年3月:金融監督庁事務ガイドラインの公表を受けて、銀行子会社・関連会社の見直しが行われ、関連会社に該当する場合、保険募集は不可となった。本規制には3年間の経過措置期間が措置され、2002年3月末までに再適正化措置を講ずることとされ、したがって、これをクリアした金融機関代理店代理店は銀行の関連会社にあたらず、完全なプロ代理店とみなされることになる。ルールを定め措置した以上、長く続いた「金融機関代理店=不鮮明な代理店」論議には終止符を打たねばならない。

 ★すでに金融機関代理店には生損保各社が乗り合っており、当該行員に対する生保構成員契約規制を除いて、アウターマーケットでの生損保商品の販売が定着している。都銀から信金・信組まで要員数は精粗まちまちだが、その他の損保販売チャネルに比べて、行員OBのマネジメント層、プロパー職員含めて総じて資質も高い。アメリカでは最近の規制緩和(99年:金融サービス改革法など)により銀行による独立代理店の買収が進んでいるが、日本ではそもそも銀行系の独立代理店が古くから活躍しているわけで、実質的には窓販=本体代理と別働体との業務分担論でしかない、いまさらの「窓販解禁」論議なぞ実に陳腐な話といえる。ま、要するに「窓販」商品の調整とは、銀行ブランドとその資源を大々的に活用して販売できる商品を選別するだけの議論でしかないのだ。

 ☆保険会社側の販路として見ると、金融機関代理店は従来から、基本的に主要損保全社乗合代理店の形での共同保険ないしは、いわゆる「つかみどり」による運営を行ってきた。この大型損保乗合代理店に対し、74年のAFLACをはじめ国内販売網の手薄な外資系(カタカナ)生保会社が進出と同時ないしは進出以降順次乗合を進め、当該販路において第3分野でAFLACが、中小企業向け逓増定期保険など死亡保険でINGが圧倒的なシェアを保有するに至った。96年の子会社方式による生損保相互参入以降は東京海上あんしん生命など損保系生保会社が順次乗合を進め、顕著にシェアを拡大している。一方、主体の営業職員チャネルへの影響を懸念して生保窓販=本体代理反対の立場をとる国内生保は必然的に論理矛盾をきたすことから、この「裏の」販路への乗合に出遅れ、本体代理解禁・別働体との棲み分けの方向が見えてきた99年以降、日本生命、第一生命など大手生保が順次乗合を開始するに至っている。

 ★金融機関別働体代理店への乗合状況
 【損保会社】都銀・地銀・第2地銀・信金等の別働体代理店では、従来は損保16社が乗り合い、共同保険や「つかみどり」の形で販売。損保会社の合併・統合により必然的に委託数は減少している。金融機関代理店の収保構成はざっくり住宅ローン関連火災保険50%、自動車保険20%、積立商品10%、その他(新種・傷害)20%といったところ。商品・料率の自由化、さらなる保険会社の合併・統合、第一火災・大成火災の破綻、窓販定着を契機に共同保険を廃止する傾向が強まるだろう。本体窓販との分担、生損保併売システムのグループ化などで代理店による取引保険会社の選別が急速に進むだろう。本体窓販に伴う主体のローン関連火災保険の減収により、生き残りをかけて独自ルート開拓による多種目販売、生保販売に注力しつつあり、窓販解禁が契機にプロフェッショナルが進んでいる。こうした取り組みにより本体窓販のバックオフィス機能も備えつつある。
 
 【生保会社】別働体への乗り合いはがん保険でAFLACが74年に日本市場参入と同時に第一勧銀系の別働体に代理店委託したのが最も早く、以下、96年の子会社方式による生損保相互参入以降、オリックス、ING、INAひまわりなどカタカナ系、東京海上、三井海上、住友海上など損保系生保子会社が乗り合いを進めた。
 国内生保は窓販全面解禁につながる懸念から乗り合いが遅れていたが、外資系、損保系生保が別働体による中小企業事業保険開拓などで実績をあげていることから、開拓ポテンシャルの大きい中小企業事業保険市場用チャネルに位置付け、リテール主体の営業職員チャネルとの棲み分けが可能との判断から、99年以降に既存損保チャネルへの乗り合いを所管する受け皿部署をつくり、当初、相対的に高い手数料を武器にして順次乗り合い開始。
 
 新契約普通Sベースのシェアは、Sの大きい逓増定期を扱う生保14〜5社の比較では先行会社のINGが42%でダントツ、以下、オリックス23%、ひまわり15%、アクサ13%などで、やはり先行した外資系がのシェアが最も大きいと思われる。各社が競う逓増定期保険は保険期間後半の逓増率が高いオーソドックスなINGの商品に対抗して、日本生命、東京海上あんしん生命などが前半の逓増率が高い新商品を投入、早期解約のメリットを訴求。
 第3分野はがん保険のAFLACがダントツ、残りを損保系生保、国内生保、その他外資系生保が争っている格好。AFLAC基盤に第一生命が死亡保険で相乗りできれば一気にSシェア拡大もある。国内生保の主要各社別新契約普通Sベースのシェアは概数で日生25%(委託数90台後半),第一10%(50台後半),住生15%(50),明治13%(40台後半),朝日5%(40),安田25%(50),三井5%(10)程度。
 
 ☆本体窓販の状況
 96年:政府・2001年金融ビッグバン主唱、97年:保険審議会答申、98年:規制緩和3カ年計画閣議決定、2000年:改正保険業法施行、金融庁窓販解禁種目見解公表、2001年3月:内閣府令公布、規制緩和3カ年計画閣議決定を経て、4月:保険窓販解禁。二股三股の業界利害が表と裏で錯綜し、消費者・市場原理不在の実になんともアホな空論の結果、損保はキャリア規制なしで、住宅ローン関連の長期火災保険(専用住宅)、海外旅行傷害保険、CLTD(債権返済支援保険)の3種目、生保はなんと現下の情勢で実現するはずもないキャリア規制付の住宅ローン関連の信用生命保険のみの解禁となった。
 
 契約者が銀行で手数料不払いの団体信用生命保険を売るために保険子会社をつくる銀行がどこの世の中にあるのか、ぜひ教えてください。元をたどれば、すでに当時さんざん笑われていたのにもかかわらず、珍なる窓販答申原文を本当に書いてしまったMOF事務局ならびにこれを認めた保険審議会委員たちの厚顔無恥さに問題があるのだが、国民経済の発展を所管する金融庁は一体どこを向いてこんな恥ずかしい原文を採用しちゃったの?国会審議不要の府令だから、すぐ直すつもりでとりあえず誰かに頼まれた通りに書いちゃったの?ともかく行政の継続性が大切なんだろうし、直接消費者に接する当事者の銀行各団体による生損保全面解禁の要請を押し切ってまで府令を書いたんだから、国民経済性と経済合理性にかなう最善策として措置した政策を僅か1年で訂正しなくていいからさ、保険会社をつくらせて信用生命保険を販売させるように銀行業界を強く指導したら?…もういいか、あほらし。
 
 ★上記の通り実際上は損保のみの窓販解禁となったが、これまでの損保の窓販状況をみると、都銀・地銀・第2地銀・信金等における本体窓販の委託保険会社数は大手を中心に約4〜5社に選別されており、中小がはじかれている。信金の場合は全信協が東京海上、安田火災、三井住友海上の3社+共栄火災の中から各信金が選別する方針を決めている。現在の窓販主力商品の火災保険で見ると、都銀・地銀・第2地銀で共同保険を採用しているのは約3割で、7割が廃止している。さらに委託保険会社4〜5社のうち、実際に販売しているのは2〜3社の商品に絞り込んでいる。売れるブランドの保険会社の選別が顕著である。ちなみに、頭取を除く全行員が損保募集の試験を受験したと言われているほど、保険窓販に対する銀行の期待は大きい。

 ☆読むのもシンドイだろうが、書くのもシンドクなってきたから、もう結論で落語を一席。
 えー2001年12月に総合規制改革会議(旧規制改革委員会)が「保険窓販全面解禁」を予定通り指摘したな。これを受けて金融庁が新たに内閣府令を書いて、行員の生保研修・募集人登録に必要な期間を考えるって〜と、拡大窓販の実施は2002年度下半期だわな。で、府令なんだけどね、お互い忙しいんだから、いっそのこと毎年書かなくてもいいように生保も損保も全部扱えるように書いちゃいなよ。消費者利便に役立たないものや、銀行が扱いたくないものは売れないし売らないから、心配ご無用だってさ。フランスなどと異なり特段の税制優遇もないしさ。保険業界もそんなに騒ぐこたあないわな。どのみちコンサルが必要な死亡保険や事故処理でクレームがつきものの任意自動車保険を扱うために別働体のプロ代理店があるわけでさ、役人がいちいち「親和性」などど細かく線引きしなくても窓販が可能な商品はハナから限られているわな。
 
 大体銀行ってところは貯金するところなんでさ、消費者の利便性と銀行のシナジー効果からすれば生保なら貯蓄型保険、特に年金だな。変額年金は投信窓販のメニューを飾る点でもすこぶるいいやね。終身年金なんぞ扱えば顧客の一生涯のポートフォリオが組めるしさ。お客も喜ぶって。ついでに特殊養老タイプも小口の貯金ってことでいいやね。な、熊さんよ。ほんでもってユニットリンクなんかも遅蒔きながらやればいいしさ。
 
 生保会社だって本音はさ、ローディング1割の年金はやっぱ窓販しかないだろ。単品で本当に営業職員だけで売ってもいいのかい?予定利率が低いときに売っときゃ将来利差がみこめるっつーの。利率変動型だから関係ねーってか。口が減らないねどうも。相互会社だから収益なんかどうでもいいってか?国内生保の具合が悪くなったのは逆ざやばっかしじゃないやね、な、熊さんよ。営業職員のモノチャネルからローディング別のマルチチャネルに早く移行してさ、営業収益をきっちり確保しないと逆ざや埋める費差は内勤職員のリストラしかねーぞってさ。脅かしてどうすんだい。消費者利便に対応してチャネルの多様化が進めば、陣容一辺倒から念願の営業職員の選別採用・育成に取り組むことができるしさ、結果、営業職員のプロ化が進むってさ。な、ご隠居のとこの業務課長さんよ、問題意識抱えたまま陣容確保のため無理な特認を強いられてさ辛いわな、あんたも。
 
 生保のご隠居も本当は分かってんだから余計な入れ知恵すんなってか?いつまでも窓販反対!って言ってくれてるほうがいいってか。いつもなんだかんだチャッカリしてるね、損保の親方は。損保はそうさな、役人感覚からすれば併用住宅のローン火災保険に、自賠責なんかも普及に役立つね。ま、積立商品は当然だしさ。なんでもいいよな損保は。ややこしいのはどうせ別働体がやるんだしね。そんでもってあとはやっぱし第3分野はなんでもござれだな。
 
 え、なんだって?「圧力募集」だってか。おっそろしくカビくさいこというね。誰だい?また生保のご隠居かい。なんだかな〜。自分の身体を心配しなって。悪いこといわないからさ。そんな事実があれば業法本法で罰すればいいだろうさ。だからさ、自己責任だってーの。やっぱきっちり金融サービス法やんないと、いつまでも役人が毎年あっち向いたりこっち向いたりしてさ、後で読んだら恥ずかしくなるような作文書かなきゃならないってことなんだよな、熊さん。(2002年1月23日、山野井良民)

●まず、やってみて消費者の意見を聞けばいいのでは?
 銀行窓販賛成です。圧力募集などの問題は保険業法で罰すればいいと思います。
 生保の営業職員と銀行の窓口の販売員とでどちらがお客様によい売り方をできるのか競争させるといいと思います。力量的にはどちらも同等と思われます。そしてお客様から意見を聞いてみるといいと思います。

 役所や業界関係者だけでああだこうだと議論を戦わせてもあまり意味がないと思います。実際に都銀、地銀、信金などいろいろな金融機関で窓口販売をやってみてお客様にとってどの販売チャネルが一番利用しやすいのかを直接聞いてみた方がいいと思います。それでこのチャネルで売るのはダメだというのであればそれはやめればいいと思います。

 ある程度の議論は必要だと思いますが完璧なものはこの世の中には無いのですから、やってみましょうよ。やってみると意外な効果もあるかもしれませんよ。だって世の中の発明発見は試行錯誤の中から、「まさかそんなことにはならない」ということをやってみて生まれてきているんですから。頭の中だけで考えているより実際にやってみることが必要だと思います。(2002年1月31日、損保系生保・プーさん)



●利便性だけが消費者の利益ではない。投信と保険は異なる。
 銀行で保険が購入できることについては、チャネルが増えるわけですから、 その意味では消費者の利便性は増すと思います。
 しかし、一般消費財と異なり、生涯に数えるほどしか加入する機会のない保険商品では加入機会を増やすよりも、消費者が何か事故にあっても経済的に困らないように自分にあった保険を購入することが本当の消費者利益に繋がるのだと思います。

 消費者が保険商品に精通し、かつ、生涯設計・生活設計に通じているのであれば、自己責任を問うこともできるでしょうが、個人の自己責任を問うほど、国民の保険に関する意識が向上しているとは思えません。現実的にも、現在、通信販売やインターネットを通じての保険販売が行われていますが、ほとんどが営業職員による販売です。

 よく、銀行窓販は、投資信託などと同様に議論されることがありますが、投資信託などの投資・貯蓄目的の商品と、保障商品とは明らかに違います。投資信託を購入しなくても生活に困ることはほとんどありませんが、保険は違います。投資信託は購入するリスク、保険は購入しないリスクがあるのではないでしょうか。
 
 加入している保険が自分のニードにあっていない場合でも、健康状態等によっては再加入が困難なのですから、加入時には、きちんとした説明が必要です。銀行窓販については、本当の消費者の利益とは何かを検討した議論をお願いしたいものです。(2002年1月31日、生保・抵抗勢力)
 
 

●販売条件満たせば問題ない。
 保険窓販は銀行が「リスクを引き受ける」のではなく、単に保険商品を「販売」するものです。 問題はどの保険を売るか、どれを売らないかの問題ですが、以下の条件がそろえば 「販売」することに問題はないのではないでしょうか。

@保険商品に関する正しい説明ができること。
A事故発生時の対応ができること。
B保険契約処理のきちんとしたシステムが作れること。

@とAは、保険に関する資格を銀行の販売員が持てばほぼクリアーできるでしょう(既存の保険販売員 がそれ以上のノウハウを持っているとは思えません)。
Bは重要な点です。銀行は通常、複数の保険会社の商品を扱うでしょうから、それらを 窓口で簡単に照会・処理できるシステムを持てば問題ないでしょう。
つまり、窓販がいいとか悪いとかではなく、これらの条件が満たされる銀行であればいいのでは ないでしょうか?(2002年2月4日、損保・まつ)

●窓販を誇大に捉えるべきでない。既存チャネルは崩壊しない。
 ここにいたって、窓販の功罪を本気で論じることが、どれほどの意味を持つのかよく分からない今日この頃です。
 要は、既存チャネル擁護の意味もあってか、どこも真っ向からは賛成できないということもわかりますが、現実には解禁に向けた準備が進められているのが実態ではないでしょうか。
色々な意味で、ドラスティックな変化を避けることも必要だとは思いますが、既存の体制を維持するだけではもはやどうにもならない時代がきていることを、多くの人が感じているはずです。

 戦後の経済復興、高度成長と50年にわたり右肩上がりの経済が続けば、制度疲労がおきても何ら不思議ではなく、したがってその間に保険の普及に大きく貢献したチャネル構造にも変化が訪れることが必然と思います。
 俗に言われる構造改革が実現した先に、チャネルの多様化がどのように進み、あるいはどのようなチャネルが生き残っているのかは定かでないにせよ、その間には色々なチャネルが出現し、そして淘汰を繰り返す。こうしたダイナミズムが求められているのではないでしょうか。
 
 生損保事業の基盤を揺るがすようなことがないかぎり、どのような変化であってもそれは歓迎すべき時代です。窓販自体も今はほんの小さな変化に過ぎず既存のチャネルを一気に崩壊させるはずもなく、また、仮に大きなチャネルに成長するとしても、市場から充分なチェックを受けるだけの時間を要することは確実です。

 ある一面にスポットを当て、それを過大に評価、あるいは誇張するのは規制時代にありがちなパターンでは。(2002年2月6日、損保・長いものには巻かれた)

●生保全面解禁ではモラルリスクの排除ができない。何か妙案があるのでしょうか?
 ちょっと気になる点。生命保険の分野で銀行の保険販売が仮に全面的に認められたとしたら・・・。ご承知のとおり、生保商品というのは、通常、まず顧客自らが保険に入りたいと言ってくることはまれで、供給サイドが必要性を訴えつづけて、それこそ断られても断られても何度となく必要性を訴えつづけて、やっと契約成立にこぎつけるというのが実態だと思います。

 逆に、顧客の方から保険に入りたいと言ってくる場合というのは、「モラルリスクの疑いが濃厚」であり、店頭来社で保険加入を希望される顧客については、基本的に引き受けない、あるいは相当の制約をかけているのではないでしょうか。モラルリスクの恐ろしさ、社会的影響の大きさについては、和歌山カレー事件やその後の諸保険金殺人等事件を見ても論じる必要はないと思います。

 片や銀行の窓口で保険商品が何でも買えるということになれば、それなりの悪意を持った人間が銀行の窓口経由の生命保険に加入・混入してくることは十分想像できます。これまで報道されている数々の事件を見ても分かるとおり、保険会社サイドで加入前に完全にモラルリスクを排除しきる妙案はなく、したがって全体から見れば希ではありましょうが、未だに根絶はできていない状況があるのでしょう。逆に現在のように店頭来社による自発的な申し込みは受けない、ということでもしない限り、有効なモラルリスク回避策はないのではないでしょうか。

 店頭来社が当たり前の銀行という業態と、生命保険において求められるモラルリスクの排除。どう考えればよいのでしょうか。モラルリスクの排除という命題はとても無視することはできないだろうし、銀行にお客が来るのはとめられない、とすればモラルリスクのある商品を銀行の窓口で販売してよいのか、という気がしてならないのですが。(2002年2月8日、生保・正論君)


●トラブルが起きたとき、どこが責任とるの?紛争処理の手当が必要。
 構成員契約規制に対する意見(昨年9月発信)とスタンスは変わっていませんが、消費者の立場から少し付け加えさせていただきます。

 「加入している保険が自分のニードにあっていない場合でも、健康状態等によっては再加入が困難だから、窓販反対」とする〈生保・抵抗勢力〉さんの意見は、生保の販売実態を無視した意見だと思います。昨今の生保解約増は、保険会社の経営危機もさることながら、それを機に保険証券を精査した結果、すすめられるままニーズに合わない保険に入っていたことへの消費者の怒りの解約であるケースも多いからです。
 営業職員を食べさせるためや保険会社が利益を上げるために、あえて複雑な保険商品を開発・販売している会社があることにも、消費者はもう気づいているのですよ。販売時点で商品性や価格(単価)などの情報を消費者にわかりやすく出さないで、「プロにまかせなさい」はないでしょう。

 「保険に関する資格を持てば、銀行員も保険に対する正しい説明や事故発生時の対応ができる」という〈損保・まつ〉さんの意見もどんなものでしょう。生保の営業職員だって、みな資格を待って販売していますが、実際には自らの利益のために消費者に損をさせているケースが少なくないわけで、有資格者による販売なら問題がないとする意見には与することはできません。
 保険の販売資格は簡単にとれるので、保険会社が保険種類等に応じて、誰に何を販売させるのが適当であるかをきちんと見極めて、販売トラブル、契約トラブルをなくすことが重要だと思います。「誰が売るか」ではなく、「どういう売り方をするか」に消費者は注目しています。

 銀行窓販への私の懸念は、銀行が販売した保険商品でトラブルが発生した場合の対応です。トラブルが契約に起因する場合、誰が責任をとってくれるのか不明瞭です。
まずは販売した銀行に苦情を持ちこむことになると思いますが、相対交渉で解決できないとき、各業界団体のADRに苦情をいっていくことになります(金融庁のホームページにはそうしなさい、と書いてありますから)。

 銀行で契約したから、と銀行協会のよろず相談所に行くと「保険の問題ですから保険協会にどうぞ」となるらしいです。生保協会や損保協会の相談所(室)に行くと、契約先の保険会社に取り次いでくれるようです。良心的な保険会社なら、銀行を呼んで三社で話し合って解決、となるかもしれませんが、「販売時のトラブルは銀行に行ってください」といわれたらアウト。銀行に行くと「どうぞ裁判でも何でも起してください」といわれ、結局泣き寝入りとなる可能性が大だからです。

 金融商品販売法では、保険はメーカー責任となっているので、販売業者である銀行の説明不足で消費者が損害を被った場合は、保険会社が消費者に賠償を行い、場合によっては保険会社が銀行を訴えなさい、となっているはず。でも、ほんとうにそんな処置を保険会社はしてくれるのでしょうか。生保協会には裁定審査会、損保協会には調停委員会、というのがあって、保険に関するトラブルの裁判外処理を行っているようですが、そこでは協会会員である当該保険会社を呼び出すことはできても、非会員の銀行を呼び出す強制力はないとか。保険会社はすべてメーカー責任で対応するつもりで、販売業者としての銀行を選別する姿勢なのでしょうか。法務関係の方にぜひお答えいただきたいです。

 私としては、販売者責任をはっきりさせるなど、消費者が泣き寝入りしなくていい仕組みをつくってから、銀行の保険商品販売拡大をしていただきたいと思うわけです。
 モラルリスクの問題も含めて、何を銀行で売っていいか、いくらの保障額ならいいかを、各社が自分の責任で決められるのではないですか?モラルリスクが発生して、他の保険契約者が損をするような保険販売に踏み切った会社は、もちろん消費者の支持
を得られないことになりますから、慎重に判断してくださるものと思います。

 ちなみに、投資信託の販売トラブルは、販売業者が銀行、生保、損保の場合も、証券業協会の紛争処理制度(法定)が使えることになっています。生保も損保も銀行も、証券業協会の特別会員だからです。銀行は生保協会、損保協会の特別会員になって会費を払い、紛争処理にも参加―保険業界は消費者のためにそうした手当てをすべきでは? もちろん最終的には、英国の金融サービス市場法のようなルールを定め、ADRも業界横断的な統一機関にすべきです。業法による規制は抜け穴だらけですから。(2002年2月8日、中立・かぐや姫)


●要は消費者が賢くならなくちゃダメ。相談、苦情処理の仕組みづくりを優先すべし。

 何をぐちゃぐちゃ議論しているのかよく分からないけど、要するに(生保サイドといわず損保サイドといわず)消極論者は既存の販売チャネルへの影響を最も懸念しているが、そのことをダイレクトに主張すると規制論者のようでネガティブに聞こえ必ずしも世論をリードできないおそれがあるので、消費者保護とか危険選択とかいう別の切り口を見つけて反論しているということですよね。きっと。

 でも、そうはいってもいずれは垣根が崩れるだろうことも見越して、裏では着々と銀行対策を進めたり、変額年金の準備を始めたりしてるんでしょ。これに対して積極論者がいくら消費者保護は図れます(またはきちんとできる範囲でスタートさせます)、危険選択はきちんとします(またはきちんとできる範囲でスタートさせます)といったところで、損保代理店や生保営業職員で業法違反どころか刑法犯にまで及ぶ輩は悲しいかな後をたたないし、そこまでいかないまでも、消費者本位にもとるとまではいわないが、ニーズはそっちのけで会社が売らせたい商品をキャンペーンはって売らせてる面も強いわけでしょ。実態が実態だけに積極論者の反論も空しい。

 要は消費者が強く賢くならなくっちゃダメということ。規制しようがしまいが、悪い奴は悪いことをするし、能力のない者はそれなりのコンサルティングしかできないし、だまされる奴はだまされる。販売チャネルの規制なんて論じている暇があったら、営利であろうが非営利であろうがどちらでもいい、買う前の金融商品相談とか買った後の苦情処理とか消費者をバックアップしていく仕組みを一生懸命作っていくことが優先と思える今日この頃でした。(2002年2月13日、損保・このところすっかり冷めた人)


●疑わしきは最初から認めない生保業界。構成員規制も同じこと。

 現在、保険業界における銀行窓販について、種目拡大の議論が行われていますが、生保業界と損保業界で大きくスタンスが違います。しかし、それは銀行窓販に限ったことではありません。企業代理店を巡る構成員契約規制の撤廃問題にしても、非営利団体の取り扱いにしても、常に同じような議論が繰り返されています。

 そもそも、生保と損保の考え方の違いは、保険契約の特性から来るのかも知れません。病気を担保する生命保険は入口できっちりと診査して、疑わしいものははじいてしまいます。一方、偶然性を担保する損害保険は入口で一応の審査はするものの、基本的には契約を引き受けて、事故が起きたときにきちっと調査を行います。この、「入口チェック」か「出口チェック」かが、生保と損保の考え方の根本となっているような気がします。

 かつて、生保業界には「法人代理店確認会」というものがありましたが、生保業界の体質を表す典型のような気がします。独禁法違反の疑いもあり、生損相互参入と共に消滅しましたが、「疑わしい代理店はそもそも登録させない」という生保業界の強い意志の現れでした。銀行窓販にしても、構成員契約規制にしても、「疑わしきは最初から認めない」という生保業界特有の考え方が大きく影響しているのです。

 さて、銀行窓販ですが、生保業界は「銀行が販売すると圧力募集になる」と言います。また、前出の銀行窓販反対の方々のように「銀行には消費者にあった保険商品を説明する能力はない」「銀行ではモラルリスクが排除できない」との意見が多数あります。果たして、本当にそうなのでしょうか?

 銀行に多少なりとも圧力販売の懸念があることは本当でしょう。現実に、銀行の紹介で生保の外務員が契約を伸ばしていった歴史があるのは事実です。しかし、今の銀行に圧力を掛けるような元気があるとも思えません。自分たちは銀行の恩恵を受けながら、「銀行がダイレクトに販売するのはダメだ」というのは、少し虫が良すぎるような気がします。

 また、「銀行には保険商品の説明能力がない」というのも、変額保険の訴訟を見る限り、その懸念があるのも事実でしょう。しかし、当時はあくまでも非合法に無資格で販売していた訳ですから、現在の制度的な銀行窓販と単純に比較する訳にはいきません。銀行も本業として本格的に販売するならば、それなりの教育体制を組んで対応することになるでしょう。現に、ローン火災の窓販では、そのような対応を行っています。

 「銀行ではモラルリスクが排除できない」というのも如何なものかと思います。むしろ、現在の巨額なノルマを課せられた外務員に方に、より大きなリスクがあるような気がします。現実に、全国で保険金詐欺が起きており、外務員が加担している例も少なくありません。従って、「銀行だけが排除できない」というのには無理があるのではないでしょうか。

 以上のように、銀行に保険を販売させることを排除する明確な理由はないのです。ご承知の通り、損保は生保に比べて銀行窓販対象種目が多くなっています。しかし、大きなトラブルは発生していません。また、今後窓販対象商品を全種目に拡大したからといって、銀行がカウンターで全種目を販売するようになるとは誰も思っていません。そこには、自ずから経済原則が働きます。効率性の観点からも、銀行窓販に適した種目だけに収斂されていくはずです。要するに、銀行側も責任を持って販売でき、確実に収益を挙げられ、コンプライアンス上も問題がないような商品及び販売に特化していくことでしょう。

 生保も基本的に同じだと思います。「自分以外は、全員が滅茶苦茶をするはずだ!」というのは、少し思い上がった考え方ではないでしょうか。もし、銀行が保険を販売することによって不正なことが起きる可能性があるのであれば、それを防ぐのが生保会社の管理責任であり、また行政の監督責任です。また、それを防ぐようなシステムや事務処理体系を作るような工夫をすることも重要でしょう。それを最初から放棄して「銀行窓販は全てダメだ」というのは、「融資先など銀行の紹介で入り込んだ企業から、外務員が追い出されてしまうのを単に嫌がっているだけ」と思われても仕方ないと思います。

 ここ2〜3年、生保業界で破綻会社が続きました。最初の内は保護機構で保障していましたが、業界負担分が枯渇してくると、4000億円の政府保障分がありながら、予定利率の引き下げだけで対応しています。要するに、従来外務員を中心に保険を販売してきましたが、破綻の責任を100%消費者の自己責任に押しつけている訳です。生保業界は「外務員が完璧に商品説明、会社説明をしているのだから、消費者に100%の自己責任を問うのは当たり前」と思っているのでしょうか。生保業界の思惑があって、消費者に100%の自己責任を押しつけざるを得ないのであれば、消費者側にも保険会社や販売ルートを自由に選べる権利がないとフェアではないのではないでしょうか。

 要するに、誰が保険を販売しようとも、消費者が賢くなって、引受保険会社の健全性を見極めることが重要な時代になってきたのです。販売上の懸念は多少あるでしょう。でもそれは、保険業法でも消費者契約法でも、いくらでも規制できるものです。最初から、「懸念があるから禁止する」というのは世の中の流れに逆行しますし、消費者ニーズを全く無視した一方的な考え方ではないかと思います。

 生保業界も、いつまでも高コスト体質の外務員に頼った販売方法は無理があります。それは自分たちが一番分かっていることです。確かに、自らそれを打破するのは難しいかもしれませんが、「銀行窓販」、「構成員契約規制の撤廃」といった世の中の流れに旨く乗って、行政や世論に押し倒された格好を作りつつ、聖域無き構造改革を行っていくことが大切です。また、それが今の生保業界に強く求められているのではないでしょうか。
(2002年2月19日、損保・保険業界の発展を願う者)


●現場で銀行の力の凄さを体験した。高い予定利率の契約が圧力で乗り換えさせられたら……。
 保険会社にとっても、新規販売チャネルが増えるという点でメリットがないわけではありません。
ただし、銀行は、力が低下してきたと言われながらも、まだまだ優越的な地位にあるのではないでしょうか。

 私が拠点長をしていた時、銀行の支店長等からご紹介いただき、加入いただいた件数は数えきれません。支店長から紹介された企業に訪問すると、その企業の取締役総務部長は銀行からの転籍者。融資と人事を押さえた銀行からの保険紹介はすごいの一言。逆に言えば、窓販が解禁されると、私に紹介いただいた保険は、全てひっくり返されるということ。
直接金融がこれからの主流といっても、それは一部の大企業に限ったことで、中小企業の多くは銀行からの融資に頼っている状況です。

 銀行の生保商品窓販が解禁されることにより、銀行の影響力で、契約者の意思を無視した乗換えが多数出るでしょう。特に、高予定利率の保険契約を、圧力によって無理やり乗り換えさせられるとしたら・・・・。来年度中にも解禁と噂される中、新たな火種にならないことを願ってやみません。 (2002年2月22日、生保・拠点長)


●個別問題を捉えて一律に規制するのはおかしい。

 「生保・拠点長」さんの意見について、もう少しよく考えた上で意見をされた方がいいのではないかという印象を受けましたので感想を一言述べさせて頂きます。

 「銀行の支店長等から紹介していただ」いていたということ自体、契約者の意思を無視したものであり、生保がこれまで契約者の意思を無視した契約をしてきたということを自ら認めているようなものですよね。要は銀行の支店長さんの紹介=圧力があったからこそ、その契約者も「拠点長」さんの生保に加入した訳で、そのような圧力がなければ契約者自身の意思で契約できたということになりますよね。そのような経緯で契約できたものなら別に保険会社がひっくり返されようが契約者には関係ないですよね。

 高予定利率という点についても契約者がどうしても新たな保障を求めるのであれば関係ないですよね。もし、契約者が望まないのに契約をひっくり返されたのであれば問題ですが、それは個別的な問題で全ての契約に当てはまる問題ではないですよね。そういう個別の問題を一律規制するというのは、なんとも妙な考え方ですよね。(2002年2月26日、損保系生保・プーさん)


【02年3月19日・金融庁見解】
 ☆利用者利便の向上、販売チャネル間の競争の促進、保険契約者保護等の観点から検討を行った結果、以下のとおり見直すこととし、今後、パブリック・コメント等の手続を経て、所要の規定の整備を行うこととする。
(1) 次の保険商品を窓口販売の対象として新たに加える。
 ○ 個人年金保険(定額、変額)、財形保険、年金払積立傷害保険、財形傷害保険 
(2) 現在、銀行等が窓口販売できる住宅ローン関連の長期火災保険・債務返済支援保険・信用生命保険については、対象物件が専用住宅であるものに限られているが、これに店舗併用住宅を加える。  
(3) 現在、住宅ローン関連の信用生命保険は、窓口販売を行う銀行等の子会社・兄弟会社である保険会社の商品に限定されているが、この規制を撤廃する。
 ☆今回の規制緩和に併せて、以下のような弊害防止措置等の充実を図ることとする。
 ○ 銀行等が保険商品を販売する際に、保険商品を購入しないことが他の取引に影響を及ぼさないことについて、顧客への説明がなされるための措置を講じる。
 ○ 銀行等が変額個人年金保険を販売する際に、融資を受けて保険料に充てた場合、当該商品が元本割れすると、借入金が残ることについて、顧客への説明がなされるための措置を講じる。
 ○ 銀行等が住宅ローン関連の信用生命保険を販売する際に、住宅ローンの返済に困ったときの相談窓口(当該銀行等の内部及び外部の相談窓口)について、顧客への説明がなされるための措置を講じる。
 ○ 銀行等の内部でマニュアルを策定して研修を実施するとともに、内部検査を行うなど適切な募集体制を整えることを求める。
 ○ 銀行等による保険商品の窓口販売の際に発生したトラブルについて、保険業界に設けられた紛争処理の場で解決を図る場合には、募集を行った銀行等にもその場への参加が義務付けられるようにする。
 ☆上記2.及び3.の措置を平成14年10月1日から実施する。
 ☆なお、対象商品の更なる拡大については、平成14年10月1日以降の実施状況をみながら、引き続き検討を行い、平成15年度中に結論を得ることとする。


●「かぐや姫」さん、保険業法283条の見直しが必要では?「窓販、代理代行」の時代にそぐわない。

 すでに方針も定まったようで、いまさらではありますが、かぐや姫さんの指摘を読ん で、以前から気になっていたことを述べたいと考えます。

 ご承知のとおり、保険業法283条では、募集人(代理店を含む)が、契約者に加えた損害について、保険会社が賠償責任を負うこととなっています。なお、同条2項は賠償責任の免責要件を定め、同条3項は、保険会社の募集人に対する求償権を定めて います。

 「コンメンタール保険業法」は、この規定について、「所属保険会社と募集主体との関係及び保険契約者に対する賠償資力等に鑑み規定されたものであり、これにより保険契約者の保護を図るとともにあわせて所属保険会社の募集主体に対する教育指導等の責任を全うさせるものである。」と解説しています。
 
 一方、金融商品販売法は、販売業者の責任について定めたものです。保険会社、代理店、保険仲立人は販売業者に該当します。また、営業職員は「業として行う者」にあたらず、ここでいう販売業者には含まれないと解釈されているようです。なお、3条3項は、複数の者が説明義務を負う場合について定めており、生命保険協会の指針に よれば、「代理店、保険仲立人等が説明義務を怠った場合や誤った説明をした場合には、保険会社自体の説明が問われることとなる」とされています。
 
 このように、保険業法はメーカー責任、金融商品販売法は販売者責任となっており、ねじれた適用関係になっています。
保険業法の規定は、保険会社と販売者(営業職員・代理店)の関係が主従関係であることを前提としたものといえ、賠償資力も十分で保険会社と対等またはそれ以上の関係となる銀行が代理店となるような時代にはマッチしないのではないでしょうか。銀行に限らず、証券会社や大規模な代理店が保険販売を行うようになっている状況で規定整備が必要ではないでしょうか。また、保険会社が他の保険会社の商品の募集を代 理代行する場合も、業法上は引受会社がまず賠償責任を負うことになりますが、この点も疑問です。こうした交渉力のある企業どうしについては、当事者間で求償について整理しておけば問題ないのでしょうか。

 ちなみに、証券取引法において業者の義務を規定する場合、業者とは証券会社であり、つまり販売者です。投資信託委託会社は直販を行うことができますが、この場合 、証券取引法が準用適用されます(投資信託及び投資法人に関する法律27条)。かぐや姫さんのように横断法制が必要というまでは、頭の整理はできませんが、こうした証券取引の法制は参考になるように思います。つまり、募集については第一義的に販売者が責任を負い、引受保険会社も専属のチャネルによって自ら募集を行う場合に販売者として責任を負うというのはいかがでしょうか。

 金融審議会の資料では、銀行窓販に係る弊害防止措置について「銀行等による保険商品の窓口販売の際に発生したトラブルについて、保険業界に設けられた紛争処理の場で解決を図る場合には、募集を行った銀行等にもその場への参加が義務付けられるようにする。」との記述がなされていますが、監督法と異なった対応を行政が作成した資料の中で求めるというのはどういった考え方によるものなのか、これも頭の整理ができません。

 ついでに窓販とは離れますが募集規制に関連して・・。近年、独立系のファイナンシャル・プランナーが活躍されておりますが、現状では規制がなされていません。活動実態はよく知らないのですが、仮に特定の保険商品の推奨を業としているのであれば、何らかの規制がなされるのが望ましいのではないでしょうか。保険事業の規制の 存在理由は、業者と消費者の間の情報の非対称性から説明されることが多いですが、これは特定保険商品をすすめる行為にもあてはまります。情報の非対称性を背景として、ファイナンシャル・プランナーから特定商品をすすめられた場合、信認関係が生じることが考えられ、これを保護するような事前規制があるべきではないでしょうか。

 保険仲立人は消費者側にたって保険商品を選択し、契約の締結の媒介を行う者ですが、保険業法等によってベストアドバイスが求められ、賠償資力確保の規制などを受けます。有価証券について投資顧問契約に基づく助言を行う者は投資顧問業法の規制を受けます。ファイナンシャル・プランナーについてもこうした規制を行うことで、事業として の社会的な地位も高まり、発展にもつながると思うのですが・・。(2002年4月11日、生保・RK)


●「RK」さんへ。紛争処理の新ルールは滅茶苦茶です。まず米国型、さらに英国型の思い切った改革で望むべきす。
 ご指名ありがとうございます。とはいえ、残念ながら丁寧に書きこむ時間がありませんので、簡単に意見を述べさせていただきます。

 提起された問題点を整理してみますと、@誰が賠償責任を持つのか、Aそれをどう規定するのか、B保険業界の裁判外紛争処理で対応できるのか、の3つがポイントかと思います。私としては、@を明確にしてきちんと対応してほしい、Aを保険業法の手直しでやるのは無理ではないか、Bでは対応できない、と判断して、横断法制、横断的ADRの必要性を強く主張しているわけです。

 したがって、業法283条に手をつけるのではなく、英国のように思いきった改革でのぞむべき、と思います。「改良の先に改革はなし」。いくら業法を手直ししても、頭の整理がつかない状態が続くはずです。ここまできたら、消費者保護の視点にたって、抜本的な改革を断行するしかないでしょう。

 今回、金融庁が示した紛争処理の新ルールは滅茶苦茶です。金融庁と業界の意向で、窓販商品が貯蓄性、投資性が高く、銀行と親近性のある商品――という部分解禁になったことも許せませんが、窓販の主役が噂されるように変額個人年金保険であるなら、法定されていない保険業界のADRで処理しよう、などという考え自体がおかしいと感じます。これに保・銀の業界がまともに応じようとも思えません。かといっていい加減な規約改正などを行うと、それこそ消費者リーダーたちがいっせいに両業界に矢を放つに違いありません。

 そこでどうするかですが、窓販解禁の前に変額個人年金に有価証券規制をかければいいのです。米国のように保険業法と証券諸法の規制下におくか、英国のように横断法制で投資取引として規制するか、ですね。100歩譲って着手しやすい方を選ぶなら、米国のように有価証券概念の拡大を行って、変額保険、変額個人年金に証券規制をかける。そうすれば、誰が売ろうが、紛争に発展したら証券業協会のあっせん制度(法定ADR)に持っていけます。それで決まり、ではないですか。生保や銀行の投資信託販売と同じルールになるわけです。証取法が参考になる、とおっしゃるRKさんも、賛成してくださるのでは?(私自身は横断法制にまだまだこだわるつもりですし、窓販は全面解禁でなければ消費者利益に反する、という考え自体は変えるつもりはありませんが…)

 独立系FPの件も、業法規制ではない方法で考えれば、どんどん整理がつく問題だと思います。この先も多くのみなさまのご参加を得て、さらに議論が深まることを期待します。(02年4月15日、 中立・かぐや姫)



●金融庁が内閣府令案でパブリックコメント実施
02年6月21日、金融庁は拡大窓販実施に伴う施行規則案をパブリックコメントに付した。7月5日まで意見集約する。
保険業法施行規則及び銀行法施行規則等の一部を改正する内閣府令等の概要
T  趣旨
 銀行等における保険商品の窓口販売は、平成9年の保険審議会報告、平成12年の保険業法改正を受けて、平成13年4月から実施されている。
 その後の銀行等における保険商品の窓口販売の実施状況、規制改革推進3か年計画等を踏まえ検討を行った結果、弊害防止措置の充実を図りつつ、窓口販売の対象商品を拡大することとし、保険業法施行規則の改正につき、所要の措置を講じることとする。
 また、これと併せて、変額保険の契約者に対する情報提供の充実、銀行等の証券子会社等における保険募集に係る業務の見直し及び保険会社等の子会社が行う確定給付企業年金等の制度管理業務に係る規制緩和を行うこととし、保険業法施行規則及び銀行法施行規則等の改正につき、所要の措置を講じることとする。

U  内容
  1.銀行等における保険商品の窓口販売について
   (1) 銀行等が保険募集できる保険商品の追加について
     @ 銀行等が生命保険募集人として保険募集できる保険商品について、次の保険商品を加える。(保険業法施行規則第211条第1項第1号関連)
○個人年金保険(定額、変額)
○財形保険
      A 銀行等が損害保険代理店として保険募集できる保険商品について、次の保険商品を加える。(保険業法施行規則第211条の2第1項第1号関連)
○年金払積立傷害保険
○財形傷害保険
      B 銀行等が保険仲立人として保険募集できる保険商品について、次の保険商品を加える。(保険業法施行規則第211条の3第1項第1号関連)
○個人年金保険(定額、変額)
○財形保険
○年金払積立傷害保険
○財形傷害保険
    (2) 既に解禁されている保険商品に対する規制の緩和について(保険業法施行規則第211条第1項第1号等関連)
     @ 現在、住宅ローン関連の信用生命保険は、保険商品の販売を行う銀行等の子会社・兄弟会社である保険会社の商品に限定されているが、この規制を撤廃する。
     A 住宅ローン関連の長期火災保険・債務返済支援保険・信用生命保険については、対象物件が専用住宅であるものに限られているが、これにいわゆる店舗併用住宅(全体の床面積のうち、専ら事業の用に供されている部分の床面積が50%以下である住宅)を加える。
    (3) 上記の規制緩和と併せて充実を図る弊害防止措置について(保険業法施行規則第234条関連)
     @ 銀行等が保険商品を販売する際に、保険商品を購入しないことが他の取引に影響を及ぼさないことについて、顧客に対し書面により説明することを義務付ける。
      A 銀行等が変額個人年金保険を販売する際に、融資を受けて保険料に充てた場合、当該商品が元本割れすると債務の返済が困難になる可能性があることについて、保険契約者に対し書面により説明することを義務付ける。
      B 銀行等が住宅ローン関連の信用生命保険を販売する際に、住宅ローンの返済に困ったときの相談窓口(当該銀行等の内部及び外部の相談窓口)について、保険契約者に対し書面により説明することを義務付ける。
 
2.変額保険に関する情報提供の充実(保険業法施行規則第53条関連)
 今般、前述の通り、銀行等の窓口販売の対象商品として変額個人年金保険を追加することとしている。この変額個人年金保険の販売チャネルの拡大にあわせて、変額保険全般について情報提供の一層の充実を図ることとする。
 具体的には、変額保険の保険募集をする際に、投資信託における目論見書相当の事項(投資方針、投資対象、投資リスク等)について記載した書面を、保険契約者へ交付することを義務付ける。
 また、保険期間中において、契約している変額保険の運用状況について、年1回、保険契約者へ通知することを義務付ける。
 
3.銀行等の証券子会社等における保険募集に関する業務の見直し(銀行法施行規則第17条の3第2項第3号の4、保険業法施行規則第234条第1項第10号等関連)
 現在、銀行等の子会社である証券専門会社及び金融関連業務を専ら営む子会社の保険募集については、銀行等が子会社として保険会社を有している場合に限り認められているが、今般、保険子会社を有しているか否かにかかわらず、銀行等の証券子会社等において保険募集(銀行等が営める保険募集の範囲に限る。)に関する業務を営むことができることとする。
 これと併せて、弊害防止措置として、親銀行の取引上の影響力を不当に利用した保険募集行為を禁じる措置を講じることとする。
 
4.保険会社等の子会社が行う確定給付企業年金等の制度管理業務に係る規制緩和(保険業法施行規則第56条の2第2項等関連)
 確定給付企業年金等に係る制度管理業務の効率的遂行を推進する観点から、保険会社の金融関連業務を専ら営む子会社の業務範囲に同業務を新たに規定することにより、同子会社が保険会社以外からも同業務の受託をできることとする。また、銀行等の金融関連業務を専ら営む子会社についても、保険会社と同様の措置を講じることとする。

V 施行期日
 1、2及び3については平成14年10月1日から施行し、4については、公布日より施行する。

<銀行窓販@>は終了します。で
は、次の<A全面解禁>へご意見をどうぞ。




●保険会社への風評、格付について
●精粗粗?区々・玉石混淆の未熟な保険ジャーナリズム。風評を甘受する保険会社との緊張・相克関係がない。
★ところで、あれほどマスコミが大騒ぎした「3月危機」説は一体どこへいったのだろうか?
 新年度第1四半期はペイオフ、3月期決算発表が連なり、またぞろ特定の保険会社を狙い打ちした風評が高まるだろう。これはデフレ不況下で消費者の保険不信を招来し、保険購買意欲をさらに減退させる要因となるから、その影響はとどのつまり健全な保険会社も含め保険業界全体を巻き込むことになる。すでにして格下げ→風評→解約増加、あるいは風評→解約増加→格下げの相乗連鎖が生保会社の経営を追いつめており、損保会社ではそれらが株価にも影響をもたらし時価総額を低下せしめている。

★詭弁ではあるがもしも護送船団行政下だったら、結果、僅かな債務超過でしかなかった旧東京生命はあるいは破綻させなかったかもしれない。風評という現代の魔女狩りの濁流は日本の保険システムに大きな打撃を与え、狙われた保険会社を崩壊へと追い込んでいる。これに対して保険会社は有効な対策を何一つ打てずひたすら萎縮するのみであり、消費者・契約者は保険会社の経営弱体化によるデメリットをもっぱら被るのみである。本テーマについてはしばらくロングランで意見交換したいと思う。以下、皮切りに思いつくまま所感を書いてみる。皆さんも思いつくまま意見を寄せて欲しい。

★「風評の素」は何だろうか。最近の「逆ざや」や「テロ」の影響だけで風評問題を括っていいのだろうか。
 そもそも保険会社って、庶民やマスコミからどのようにイメージされているのだろうか。ざっと「風評の素」を辿ってみよう。
 資本主義経済の国々では濃淡の差こそあれ、マスコミや司法は、銀行や保険会社など大資本に対する大衆側のディープポケット・フィロソフィー(富を収奪した金持ちから富を奪い返すのは社会的正義だという考え方)
を反映するのが常である。大資本=大衆から富を収奪する強者、大衆=大資本に搾取される弱者という図式が成り立っていた時代においてはそれもまた、社会的なバランスを保つうえで必要な概念であったと言える。
 
★暴走するマスコミ報道を批判をする前に、まずは保険会社はこの際、こうべを垂れて「イメージの素」をつくった過去の振る舞いを振り返ってみて欲しい。バブル時代に「ザ・セイホ」と呼称された頃の生保会社の所作が適切であったとはとても言い難い。生損保ともカネの使い方、売り方で常軌を逸した点が多々あった。自由化以前の価格無競争時代における日本の保険会社のダブダブの付加率は社会通念に照らして明らかに儲けすぎであった。過去長きにわたり、民間企業でありながら行政の手厚い庇護のもと、相互主義の美名ないしは理念先行による陣容拡大・保有S競争に明け暮れ、営業収支残(収益)を軽視し続けてきた生保経営、あるいは公共性の建前でカルテル価格に守られてきた損保経営の姿は、社会的にあまりにも異質であり、手前勝手でありすぎた。

★大量の非自立・非稼働な営業職員や代理店を抱える極端な労働集約型産業でありながら、右肩上がりの経済成長に乗っかって安定的に収益を確保してきたのも確かである。かつて消費者利便とローディング体系の観点から通販、窓販等の必要性について質問した小生に対し、「40万余の営業職員(当時)が消費者との接点になっているので、これ以上のチャネルはまったく必要性がない」とトップが断言し、業界の論理を消費者に押しつけたその生保会社がいま、風評に煽られている。私は逆ざやだけが生保経営を衰弱させた要因とは捉えていない。

★一方、「大きいビルは保険会社の建物ばかり」とか、「柱1本焼け残ったら査定される」といった日本ならではの偏見や、預金のペイオフには大騒ぎしながら、生涯ゆうに1千万円を超す生損保保険料を支払うにも関わらず、双務諾成契約の保険契約について、「保険は分かりにくい」とか「約款の字が小さすぎる」ですましてしまう習慣に象徴されるように、保険ビジネス・保険システム・保険契約に対する消費者側の意識・知識の低さにも大いに問題がある。長年、業界の論理を押しつけてきた保険会社側の姿勢と、消費者側の保険に対する意識・知識・関心の低さ、保険教育の遅れなどが諸々相まって、単に保険会社は大量のセールス部隊を動員し、使い捨てしながら、「功利的に儲ける、もてるもの」としてのイメージが社会的に根深く定着してしまった。利下げや公的資金注入論にさっぱり世間の理解が得られないのも、自明のことである。

★バブル発生以降の経済運営の失政により、世界bPの総資産を誇る国営事業の簡保を除き、民間生保会社はかつての国内生保20社体制がいまや半減し、資本の薄い会社から厚い会社へと順番に衰弱死を遂げ、わが国の私的生活保障システムはいまや崩壊の危機に直面している。破綻保険会社の契約者はもちろんのこと、契約者保護機構への拠出分も考慮すれば健全な保険会社の契約者(配当)も含めて「四方八方一両損」の形で庶民の貴重な財産が消滅しているにもかかわらず、個々人の立場ではもっぱら「○○生命はどうよ」などと自分の契約先保険会社の行く末だけに関心を寄せ(個人感情では当たり前だが)、世界に例を見ない形で急速に生活保障インフラの生保システムが萎縮し崩壊しつつある現実に庶民は無頓着であり続ける。

★景気が右肩上がりであればこれらすべての問題に蓋がされていたのだろうが、デフレ不況が長期化する中での庶民の日常の閉塞感と先行きの不透明感、ディープポケット・フィロソフィーの残滓、功利的に儲ける存在としての保険会社の旧来のイメージなどがないまぜとなり、現下の経営環境について極端な話、「同情に値しないもの」「問題点を共有する必要がないもの」として保険会社への不信感がいま、風評の形で吹き出してきているのならば、この現代の魔女狩りは庶民の保険不信を反映した時流として長期化することになる。現在、相対的に格付けが高い保険会社とて対岸の火災視してはいられない。ざっくり言うなら、政争のネタをヒステリックの探し求める政治不信の構造と同じ構造であり、保険契約者もタックスペイヤーも不信や不満のはけ口を求めている点でまったき共通した心理状態にある。

★マスコミも保険会社も不安を煽る?ことでビジネスが成り立つ「不安産業」という共通項がある。庶民の意識を反映して、かつて保険不信のネタ探しに明け暮れていたマスコミが護送船団行政の崩壊により、旧日産生命が破綻して以降、ディープポケットフィロソフィーが頭をもたげてきたかのように、あたかも社会的正義としてピューニティブダメージ(懲罰的賠償)を振りかざすかのように、足色の弱ってきた「もてるもの」に次々と襲いかかってくるようになってきた。不安産業が不安産業に襲いかかるという構図である。いまや第一権力のマスコミ(ひどく精粗区々で一口には括れないけれど)と、たかだか民間の保険会社とのパワーバランスなぞ成り立つはずもない。かくして不信や不満のはけ口として「次の破綻(餌食)」を期待し、もしくは企図するかのような「言ったもん勝ち」の現代の魔女狩りが横行する。協会長会見などで、しばしば「謝罪要求」に近い質問が繰り返される意味が、経営者本人はほとんど分かっていないだろう。

★保険ジャーナリズムと言えば昔はイコール保険業界紙を意味したが、最近の生保破綻、保険犯罪以降、マスコミレベルで保険ジャーナリズム分野が確立した。主観で思いつくまま列挙するなら、保険会社の経営状況に関して一般消費者に情報提供するマスメディアでは、例えば日頃から保険分野で取材を重ねている全国紙の一部の記者、日経本紙・日経金融・日経ビジネスおよび同社投資情報媒体、東洋経済の保険に精通した複数の記者および保険特集号、NHKニュースおよび「クローズアップ現代」などによる報道は、記者個人レベル・編集部レベルで検証を重ねた客観的な調査報道ないしは問題提起として評価できる。

★それ以外のデフレ、ペイオフなどの時勢に便乗した「生保不安」報道の大半は、おおむね「ザ・セイホ」時代に醸成されたディープポケットフィロソフィーに根ざし、安直な「不安報道」を垂れ流し、これが風評のネタとなる。中には経済誌でありながら、損益が見える最低10年間くらいの将来収支分析のシミュレーションすら立てずに、いまの財務状況の概観などをベースに「生保会社ランキング」を堂々と公表する様はただただジャーナリズムとして恥ずかしい。政治批判で記者クラブ制の全国紙を抜いて「真実報道」を連発しレゾンデートルを大いに発揮するメジャー系週刊誌が、こと保険となるとほとんど性悪説に走り、保険犯罪に至っては保険会社がしばしば詐欺師の共犯扱いで登場する。分野によって社会正義の尺度が揺らいでいいのだろうか。「どっか危ないとこ、ないですかね?」などと繰り返し聞かれると、もはや彼らのその性に悲しくなるのみである。
安易に保険報道を行う者が、もし安易に保険に加入し保険に頼っているならば、それこそ笑止である。

★一方、保険業界内の伝統的なジャーナリズムとして、保険会社に密着した業界紙の一部の記者は、それこそ経営者の個人的な能力から運用の問題点、営業現場の実態に至るまで知悉しているものの、肝心の報道表現の在りようはおおむね業界の代弁機能ないしは業界内広報機能に止まっており、現状で木鐸としての使命であるはずの経営批判機能を果たしているとは言い難い。情報の仕入先に情報を売る構造が変わらない限り、抜本的な変革は望めないだろう。もてる資源を外に向け、また外の声を内に向けて欲しい。専門ジャーナリズムを指向するあまり、時にアカデミックなものに対する羨望感が透けて見える表現に接する事があるが、実に気色悪い。痩せても枯れても報道人として脚下照顧を。

★かつての湾岸戦争でこの國に軍事評論家が数多存在することが初めて分かったが、旧日産生命の破綻や和歌山事件以降、保険評論家もそれに勝るとも劣らぬ数がいることが判明した。それを名乗って久しい小生自身が驚いたほどだ。もちろん小生の頭脳では変遷著しい保険論はもとより保険数理論、世界の保険制度等々……これはもう一生涯ひたすら勉強を重ねるしかないと思っているし、間違っても能書きをたれる立場にないが、そうした混濁喧噪状況の中に身を置くことそのものがとにかく気恥ずかしいし、距離を置いて客観的な保険報道をコツコツなすべくホームページを立ち上げた経緯がある。

★ご同輩の論文を逐一読んでいるわけではないが、それこそひどく精粗粗?区々、玉石混淆状態である。執筆者のお名前が目に止まれば専門のご意見として読んでみたいと思うのは、主観で恐縮ながらジャーナリストでは高橋伸子(生損保)、畠中雅子(FP、生保商品分野)、朝本友一(生保分野)、中崎章夫(損保代理店分野)の各氏、アナリストでは伴英康(モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッター証券)、植村信保(R&I)の各氏などに過ぎない。その他新進気鋭のジャーナリストも多数いらっしゃるのだろうが、こちらの勉強不足で十分拝読していない
ので力量のほどはよく分からない。

★ジャーナリスト、アナリストの他、多くの学者、FPも含めて保険ジャーナリズム分野を形成しているが、正直現状は極めて未成熟な分野である。中には、小説分野とか2チャンネル分野の範疇に入れることが相当と思われるものや、何やら生保会社に個人的な怨念でもあるのかと疑いたくなるもの、商品比較では保険原価にアプローチせずに商品内容だけ比べて単に保険会社のお先棒を担ぐものまで、公器のマスメディア上でしばしば散見される。ジャーナリストを名乗る以上は名前が売れる売れない、飯が食える食えないに関わらず、鬱憤晴らしの前に、まずは一般消費者向けの生保・損保協会の「ディスクロージャー虎の巻」から習得なさったほうがよろしかろうと辞を低くして助言する。だって活字媒体の場合、珍論が後世に残ってしまうからかなり恥ずかしいではないか。

★もちろん小生もこれまでたくさん恥をかいているし、枯れ木も山の賑わい状態こそがジャーナリズムの健全な姿なのであって、その実態はそれぞれのマスメディアの企画・企図メニューに応じて計算尽くで配役が手当され、ジャーナリストとて役回りに応じた演技が要求されるものである。小生も演技することは多々あります。薄っぺらなジャーナリズム論なぞ語るつもりはさらさらないが、最近の保険に関しては実にまあ、「ひとり義憤」状態のなんじゃらほい?が多すぎる。フィクション小説としてもできが悪い。

★一方、これらの見るにおぞましい「ひとり義憤」状態のなんじゃらほい報道に対して、風評被害を受ける側の保険会社の姿勢が情けないほど腰が引けているのは、これまたなんじゃらほい。調査報道・真実報道にはほど遠く、公器での意見表明の許容範囲を超え、明らかに風評を企図し煽動し損害を与えたり名誉を毀損したと捉えられるものが実際にあるではないか。それによって消費者が仮に破綻しても減額懸念の低い定期性商品の解約に走って損したり、営業職員や代理店が営業妨害・損害に直面する事例が実際にあるではないか。これがもしアメリカなら裁判の勝ち負けは後のこととして、とりあえず保険会社は執筆者・発言者個人を相手にして提訴するに違いない。

★何せ日本の保険会社にはほとんどそのような報道表現に対する提訴の先例が無いし、表現・報道の自由をタテにされても面倒だし、風評による損害なるものの定量的な測定が困難だし、さらに提訴自体がマスコミの好餌になるし、妙なものと関わりを持つのも得策でないし、てなことで明らかに特定の意図の感じられる中傷誹謗の類まで媒体への型どおりの抗議程度で済まして甘受するのが慣習化している。保険会社の広報体制も一般紙担当、その他マスコミ担当などと事務的に媒体分担をしてことたれりとし、被害を受けない限り個々のジャーナリストに目を当てる意欲も余裕もない。個々のジャーナリストの集合体がメディアであるにもかかわらず。

★かくして、保険ジャーナリズム分野の現状は、ジャーナリストと保険会社との間で互いに正対したコミュニケーションが希薄であり、真剣勝負の緊張・相克関係が生まれず、よって未成熟かつひ弱なジャーナリズム分野でしかない。そこから発生する曖昧報道がさらなる風評連鎖を生む。問題解決への一つの方向性としては、当面はもっと資源を集中して個社および業界における消費者・ジャーナリストとのコミュニケーション体制(損保はIR含む)を拡充することと、中長期的には専門のアナリストを育成することだ。売買市場のある証券市場では証券アナリストが定着しているが、保険アナリストは格付機関以外にビジネスニーズがほとんど無い。アクチュアリーで証券アナリスト資格を有し、かつ一定の実務経験を有する保険アナリストが活躍できる時代になれば、自ずと風評リスクは軽減するであろう。自社商品・自社動向の掲載の有無やスペースの大小で広報担当者が一喜一憂したり、あるいは評価されたりしている間は風評報道がおさまることはない。風評が会社の存亡に関わる問題である以上、経営として対応すべき主要テーマであることは言うまでもない。保険ジャーナリズム問題で長くなりすぎたので「格付」への意見は後回しにする。(02年3月29日、「加藤議員辞職問題のTV報道」を横目で見ながら、山野井良民)


●情報力には情報力で。徹底的にディスクローズして戦うしかない。
 私は生保業界の人間なので、生保について意見を述べてみたいと思う。
 現在巷に流布している生保会社の風評は、単なる風評として捉えることはできないと思う。

 要は、生保業界だけでなく政治・経済・社会・文化などの日本人の活動のあらゆる面において戦後50余年を支えてきた構造が疲労し、機能不全に陥っているという国全体が置かれている状況の中で把握する必要があると思う。もはや部分部分の継ぎ接ぎや修理・調整では機能回復できず、まさに新しく作り直すことが必要となっている。これを構造改革と巷では呼んでいるのであろう。太平洋戦争以前であれば戦争をやって人間を殺し、物理的に破壊することでスクラップ&ビルドできたのだろうが、今の日本で戦争をすることは現実的ではない。物的にも人的にも武力で破壊し尽くすことが不可能な現状下では、構造改革を実現するには「口」で勝負するしかないのだ。「情報力」といった方が分かり易いかもしれない。

 生保業界に目を向けてみると、風評というのはまさに、現在の生保業界が抱えている構造的問題に対して消費者(あるいは単にマスコミだけが騒いでいて消費者は関心が無いケースもあるのかもしれないが)がスクラップ&ビルドを求めているものと捉えることができるのではないだろうか? これに生保業界として対峙するには「情報力」をもってするしかないのではないだろうか? つまり徹底的に正しいディスクローズを行うことしかないのではないだろうか?

 また、格付け会社という今の保険業界にとって最も厄介な存在に対しても同じである。徹底的にディスクローズして戦うしかないのではないだろうか?徹底的なディスクローズを行わずに単に「おかしい」「理解できない」「不本意だ」と感情を吐露したところで現状は何も変わらない。むしろ生保業界の立場は一層不利になるだけであろう。我々を理解してもらうには先ず我々から消費者(或いはマスコミ)の求めている情報を開示することから始めようではないか。

 勿論それが消費者の利益になるのか、という議論もあるだろうが、構造改革で一方的に利益を得られるということはあり得ない。口喧嘩であってもお互いに傷付くことは避けられないのが現実であろう。だからといって現状維持のままでも双方が不利益を被ることは避けられまい。(02年3月29日、生保・特攻隊・生保万歳!!)



●週刊誌の恣意的なランキングは問題。書かれた方は笑って済まされないぞ。

 週刊誌がよく行う保険会社のランキングについて一言。「保険会社の実力ランキング」とか、「乗り換えるならこの保険会社」といった記事は、電車の中刷りで見出しが出れば売れるでしょう。読者は、保険会社に限らず、こうした企業のランキング、格付けには興味を持つもの。
でも書かれた方の会社としては笑って済ませれるものではない。きちんとした根拠があればいいのだが、どう見ても恣意的な指標を使ったランキングが多々あるのは問題だと思う。(02年4月1日、 損保・わかりません)


●どうした?Moody's、格付会社にも説明責任があるぞ。大同の上場で新展開、生保も株転・上場すればプロが分析する。
 風評の観点では格付会社の格付にも大きな責任があると思う。先日Moody'sの生命保険会社の格付が大幅にダウンしたが、その説明はなんら説得力を持たないものであった。その直後に、常日頃は保険会社の経営不安をかき立てているあのマスコミまでが「いくらなんでもそれはおかしいのではないか」という主旨の記事を次々に掲載したものだ。特に週刊ダイヤモンドは「Moody'sと外国資本が結託して本邦生保を買収するための地ならしである」というような論評も加えていた。不健全な新陳代謝を加速する動きであるというのだ。

 公平な見方を提供することで利益を得ている格付会社に、そのようなことがあるのだろうかという気はするが、他業界でも目障りな業界の業種を一気に叩くという意味でMoody'sは「活躍」している。あながち、あり得ないとは言い切れない意見である。現に、Moody'sの大幅格下げの説明は全くあやふやで、東京サイドの意見について「もっと下げろ」との指示がニューヨークから飛んだと聞く。

 もっとも、日本の格付機関がもっとしっかりしていれば、「こうしたMoody'sの意見など捨て置け」という姿勢が保てるのだが、なかなかそういうわけでもない。R&Iの格付はまあまあ正確に見えるが、JCRの夏の生保格付の一斉引き下げもさっぱり理由が分からなかった。だいたい「格付機関」という言い方自体がおかしいのであり、格付会社と呼ぶのが正しいのであろう。彼らは格付を発表することで金儲けをしようとしている単なる営利企業である。エンロンの格付で大失敗したため、最近は生き残るのに必死なのだ。それで格付を低く低くという誘惑に駆られている。

 スタンダードアンドプアーズ社は、それでも惰性に流されない格付を付けている会社である。人材のクオリティもなかなかの水準と聞く。また、一般的にはS&Pの格付はMoody'sの格付よりも固めに付けられるのが普通である。今回のMoody'sの格下げはS&Pの格付を大きく下回る水準に下げるものであり、極めて異例である。その意味でもMoody'sの「なんらかの意図」を感じるし、投資家にとってもS&Pの付与している格付との乖離は理解に苦しむものであろう。

 ディスクローズについても、日本の生保は相当の開示を既に行っている。外国の保険会社の開示を超えた部分も少なくない。内外保険会社の開示を本気で比較したことがある人がどれくらいいるだろうか。開示がわかりにくいという指摘もあるが、それ以前に勉強不足である。金融会社の開示がわかりにくいのは別に日本だけの話ではなく、理解するには勉強するしかない。ディスクローズが悪いと文句をいう人ほど、何も知らない。生保を良く知っている人ほど、ディスクローズに対する批判も少ない。そもそも本気で分析しようとすれば山のようにデータが開示されていて、その処理に四苦八苦するはずである。それで手を抜いて格付会社の格付を鵜呑みにするのだが、その格付会社が日本語すら読めない、話せないというアナリストが格付の決定権を持っているのだからお話にならない。蛇足ながら小生も海外で企業分析をした経験があるが、英語での分析だけでは結局何も分からないというのは身にしみて知っている。つまり、現地語で現地情報を得ることなしに、事実に迫ることなどできるはずがない。

 社会的に保険会社に対する分析力が求められているのに対し、その対価を支払う人物がいないため、分析力を持った人材は投資銀行に流れてしまう。「投資銀行は血の匂いがするところに群がってくる」といわれる例に漏れず、破綻生保の買収などで一攫千金を狙うというのが日本の保険業界の周辺で起こっている。格付会社の分析力不足で格付が下がれば新たな破綻が発生し、投資銀行もこれを歓迎するという図式だ。日本の週刊誌に迎合した格付会社の格下げで、破綻する必要もなかったのに窮地に追い込まれた東京生命などがその例である。辛くも外資の手に渡るのは防いだが、危うくまんまと思惑通りになるところだった。

 この4月からその東京生命の親会社である大同生命が上場した。これが新しい展開を呼ぶ可能性もある。大同生命の上場は生命保険業界の分析にカネを払う主体の登場に他ならないからである。投資家は自分のカネを投資するプロであり、その投資先の選択にはプロの分析を求め、その報酬を支払う。100億円の投資に1000万円の調査費用を惜しむようなことはない。今までは保険契約者だけが利害当事者であったため、生命保険料以上の投資があり得ず、数百万円の投資(=保険料)に1000万円の調査費用を支払う人などいなかった。この図式が変わる。分析力が社外に発生することで、保険会社も緊張感を持たざるを得ないし、分析にカネもかけられるから一流の分析が公表されるようになるだろう。

 保険会社に限らず、金融業の分析は一般の企業に比べて難しいものだ。与信期間の短いノンバンクや銀行でさえ難しいのであるから、世界で最も長い調達期間を持つ日本の生命保険会社分析が難しいのは当然だ。その翻訳能力が社会的に不足しており、無能なライターや格付会社に集中しているというのが保険契約者、保険会社双方の不幸である。生命保険会社も資本市場との対話を増やし、意味不明な格付を排除する努力をしていくと共に、株式会社転換、上場、IRという手順を踏むことで「普通の会社」として社会の中で分析されることが大切だろう。その上で敗北していく会社が出たとしても、それは健全な新陳代謝と言えるのではないだろうか。(02年4月3日、生保・自称保険アナリスト)



●むしろ嘆かわしいのは「風評営業」。生保業界に警鐘を鳴らしたい。

 いつの頃からだろうか。顧客が生命保険に加入する際の選択基準が変わったのは。
ひと昔前の選択基準は「誰に加入するか」が大半を占めていたと思う。よく耳にするが、保険会社内では担当者の苗字をとって、例えば「山田生命」にお客様は加入してくれたのだと、「○○生命(社名)」に加入するわけではない、といった類の精神教育があったようだ。
会社名はお客様にとっては二の次であったように思われる。確かに金融機関はどこも同じで、銀行も近所であれば良かった時代なのかもしれない。

 とは言え、さすがに担当者さえ信頼できれば保障内容や保険会社はどこでもいいというわけではない。死亡保障市場の狭隘化、外資系や損保系生保の参入等があり、競争が促進されていく中、「人の良さ(信頼できる)」だけでなく、「商品」の良さ(顧客ニーズにマッチした商品開発)が求められていた。また、その商品の良さを適切に説明できるセールスレディー、専門知識と技能(提案力)を備えた担当者に、顧客は加入していたようだ。
また、保険会社は商品・システム開発に力を入れ、さらに教育面の充実を図った。同時に、顧客は商品を比較して選ぶ力を備えた。

 ここまでは、販売者と消費者の関係が本来あるべき姿に向かって、ともに成長を遂げていたと思う。顧客に選ばれるために、セールスレディーは懸命に知識習得に励み、自己研鑽を図った。また、少しでもよい商品を求めて顧客はあらゆる情報に耳を傾けた。

 しかし、最近はどうであろう。本当に、嘆かわしく思えるのは、セールスレディーの販売手法そのものが変わってしまったのではないかということ。つまり、コンサルティング以前に加入生保の経営に対する不安感を煽ることに注力しているように見えることである。また、残念ながら顧客も惑わされてしまう。これが成約への近道だとしたら、顧客志向欠如の中、生保業界は急速に衰退していくであろう。

そこで、あらためて生保業界に警鐘を鳴らしたい。プロ意識をもって販売にあたること。真のコンサルティングを目指してほしい。いずれ我が身に降りかかることをお互いが認識し、フェアな競争を心掛けるべきであろう。(02年4月3日、生保・真紀子)


●「風評営業」と一括りに言われるが……親しい人から実態聞かれたら、なんて答える?
 「風評営業」について考える。先日まで拠点長をしていた経験者として「風評営業」の実態について述べてみたい。「風評営業」とひと括りにされているが、実態は大きく2つに分けられるのではないか?

 一つは営業職員自らの成績のために積極的に「○○生命は危ない」と風評を使って営業をしているケ−ス。もう一つは顧客から聞かれ「危ないそうですね」とコメントしているケ−スである。当然「風評」を利用した営業は論外だが、後者のケ−スもまとめて「風評営業」としてしまうのには心情的に抵抗がある。

 例えば、もしあなたが生保業界にいて、親族や親しい友人から「××生命に加入しているんだけど大丈夫?」と聞かれたらどう答えるだろうか?その会社の実態が厳しい事がわかっていても「よくわからない、その会社に直接聞いて」と答えられるだろうか? 

 大部分の人は「きびしいみたいよ」ぐらいは答えるのではないか。やはり人間心理として「親族・友人には損をさせたくない」との意識が働くであろう。同様のことが営業職員にも言える。大事な顧客には「教えてあげたい」という気持ちが出てくるのは自然である。

 よって、「風評営業」をなくすためには、まずは「風評」の発生を防ぐ事である。そのために保険会社は危機管理をしっかりし、的確なディスクロ−ズおよびマスコミ対応を行うことが必要と考える。雪印、狂牛病の問題も初期対応如何ではもっと違った展開になっていたのではないか。保険会社各社のマスコミ対応力の差が如実に出ていると感じている今日このごろである。(2002年4月9日、生保・元イケイケ拠点長)


●「マスコミテロ」には毅然たる態度で。目線は常に消費者・顧客へ。
 今を溯ること5年前の4月、誰もが予想していなかった生保会社の破綻が突然起こり、生保不倒神話が崩壊した。
「風評」なるものが業界を揺るがす厄介な存在として認知され始めたのは、この頃からではないだろうか。

 昨年までに7社が次々と破綻していく過程で、破綻の主因は逆ザヤであったとしても、風評が破綻のトリガーを引く要因の一つになったことは間違いない。風評さえなければ破綻せずにすんだ会社が、その後の国内株価の低迷の難局を乗り切れたかどうかは分からないが、少なくとも業界に対する不信感はもっと違っていたのではないだろうか。

 風評営業を助長するツールとして使用されることを前提とし、発行部数を伸ばすためなら何でも掲載するというスタンスの一部の週刊誌やタブロイド紙、また、無責任で理解しがたい独自の分析を主張し、ひとりよがりの正義感を振りかざして不安を煽る一部のジャーナリスト等は、もはや「マスコミテロ」と呼ばざるを得ない。

 これらのマスコミテロに対して毅然たる態度で対応することは勿論だが、生保会社も「IR」を意識して情報開示の質を高めるとともに、情報伝達チャネルの充実を進めて、消費者・顧客への正確な情報提供を徹底することが必須となる。いずれにせよ、目線は常に消費者・顧客に合わせなければ、いつまで経っても生保に対する信頼は回復しないだろう。(02年4月12日、生保・明日があるさ!)



●分析がない
Moody'sの不思議な格下げ? 複雑な会計手法と数理モデルのクセを評価できる専門家の育成が大切。

 先般、ムーディーズ社が生保業界の大幅格下げを実施して驚かせたが、公式コメントを読む限りでは分析らしい分析がない不思議な格下げであった。

 ムーディーズ社は依頼格付けと勝手格付けを区別しないが、一般に公開情報だけから格付けの判断をすることは難しい。少なくとも分析対象の属する業態の1社から依頼格付けによる情報収集を行い、その上で公開情報をもとに比較類推する手法をとらなければ勝手格付けの信頼性は確保できないといわれている。ムーディーズ社は日本の生保業界では依頼格付けの顧客を有していないといわれているため、分析のために必要な情報が不足していた可能性が高く、このため極端に保守的にならざるをえなかったのではなかろうか。

 それでも、今の生保業界のディスクロは高いレベルにあるというのだから、専門家ならそれなりの分析ができるはずだという反論があるかもしれない。実は、生命保険の会計というのは、専門家であるアクチュアリーにとっても難しい。生命保険業は資本投下と回収の時間差が極めて大きい特殊な業態であり、半年や1年という区切りでこの長期の利益構造を評価しようとするのは本来的に無理がある。この利益構造を1年間の区切りで把握するためには、何らかの数理的モデルを介在させる必要があり(そこにアクチュアリーの存在意義があるのだが)、これが話をややこしくしている。
 
 加えて、日本は法定(監督)会計と一般目的会計と税務会計が一体化されてがんじがらめになった特殊な環境下にある。生命保険会計にもグローバルスタンダードがあるだろうといわれそうだが、生保の利益認識の基準は、各国の監督当局が定める法定監督会計の他に、USGAAP、、MOS、エンベッデッドバリュー等の様々な手法があり、どれにも一長一短があるし、各国の保険市場固有の事情にも深く関係しており、グローバルスタンダードといえるものは存在しないというのが実情である。また、各手法には特有の数理的モデルが介在しているため、そのクセを理解していないと正しい評価はできない。

 一般の消費者にこういった生命保険会計を理解してもらうにはどうしても限界があり、格付け会社やアナリストのような専門家の役割は大きいといわざるをえない。しかしながら、日本には、社会科学としての保険論の講座はあるものの、保険の専門的実務教育を行う大学がないこともあって、この分野の社会的な知識の蓄積が不十分であり、評論家やアナリストのようなオピニオンリーダーといえども、保険会計について十分な知識を有しているとはいいがたい。

 ディスクロの拡充は結構なことだが、正しく理解されなくては意味がない。生保業界としても、社会的な知識の蓄積と、情報を正しく理解できる専門家を育てていくことに目を向ける必要があるのではないだろうか。(02年4月28日、生保・アクチュアリーのゆで卵)



●財務内容改善した時点で格下げとは……Moody'sによる生保会社の格付は、何によって決定されるのか?
 そもそも、生命保険会社の格付けは、何によって決定されるのだろうか。少なくとも財務内容は主要な決定要因であるはずだが、財務指標と格付けの関係の現状を見ると、格付けの信頼性に疑問を投げ掛けざるを得ないように思われる。

 例えば、最近の生保格付けで話題を呼んだのは、本年3月11日にムーディーズが大手・中堅8社の格付けを一斉に2〜3ノッチ引き下げたことである。ムーディーズは、引き下げの理由に株安などによる財務状況の悪化、市場の飽和感など、業界を取り巻く環境に好転の兆しが見られないこと、資本増強策の効果が限定的なことなどを挙げている。

 しかし、株式市場の動向を日経平均株価で見ると、2月6日の9420円から、格下げをした日の前日(営業日ベース)の3月8日には11885円まで戻っており、率にして実に26%を超える上昇を見せている。TOPIXで見ても、2月6日の922.51から、3月8日には1108.13と、こちらも20%を超える上昇を見せている。

 格付けを引き下げられた8社の一般勘定資産に占める株式占率は区々であり、保有株式も株価指数と同様の動きをする保証はないものの、2月6日以降の約1カ月間に大手・中堅生保各社の財務内容は著しく改善しているはずである。にもかかわらず、このタイミングで一斉引き下げを行ったことは、どんな理由を挙げようと説得力に欠けると言わざるを得ない。

 また、例えば、大同生命の場合、3月11日の時点で、4月1日の株式会社化・上場が決まっており、格下げの理由の1つに挙げていた「資本増強策の効果が限定的」ということを、他の相互会社と同列で論じることには無理があるように思われる。さらに、「市場の飽和感など、業界を取り巻く環境に好転の兆しが見られないこと」は、このタイミングに限ったことではない。何れにせよ、株式市場を始め、生保各社の財務内容に大きく影響する市場動向から見て、3月11日のタイミングで、しかも各社の状況の違いがあるにもかかわらず一斉に、しかも2〜3ノッチという大幅な格下げを行ったことは、巷で言われている「何かの意図」を感じざるを得ない。

 長期にわたる逆ざやを始め、生保業界を取り巻く経営環境は依然として厳しいが、各社とも価格変動リスク資産の圧縮、人員削減やボーナスカットなどのリストラ、基金の増額などによる自己資本の充実など、財務指標の改善に懸命に取り組んでおり、着実に成果を挙げていると言えよう。格付け会社においては、こうした財務指標を適切・公正に反映し、しかもタイムリーな格付けをお願いしたいものである。(02年4月30日、生保・アクチュアリーの生卵)
<終了>


●金融庁による予定利率引き下げの法案検討について

●消費者・契約者は「ノー」の意思表示を〜生保会社も反対する実効性の無い事前破綻処理に過ぎない(コラムより)
 <利下げ法案検討の背景>
 現在、主要生保会社の保有契約の平均予定利率は3%台後半〜4%台(保有契約の予定利率が1%台に引き下げられた破綻・更生会社除く。96年開業の損保系生保会社は2%台)で、運用利回りは2%前後です。このように運用実績が予定利率をまかなえない状態のことを「逆ざや(利差損)」といいます。この利差損を費差益・死差益で埋めてなお、生保会社は多額の基礎利益を出しているものの、逆ざやの負担が生保会社の経営を大きく圧迫していることは確かです。

 これまで資産で負債(そのほとんどは責任準備金)がまかなえない債務超過によりすでに7社が破綻しました。 平成9年4月の旧日産生命(現あおば生命)の破綻以降、ほぼ毎年のように生保会社の破綻が続き、平成12年10月の旧協栄生命(現ジブラルタ生命)の破綻まで、資産規模の小さい会社から段々大きな会社へと生保の破綻連鎖が拡大し、現状は超低金利政策の長期化、株安により生保会社は第2次世界大戦直後の生保危機以来の厳しい「生保不安」の局面を迎えています。

 平成13年3月期決算から、生保会社の経営早期是正措置の一環として、金融庁が新しい将来収支分析基準(日本アクチュアリー会策定)でモニタリングを実施(非公開)していますが、生保会社の運用環境は一段と厳しい状況にあります。
 
 ちなみに、生保会社の逆ざやを解消して破綻前に救済するには、主に2つの方法が考えられます。1つは、国が生保会社専用に保有契約の予定利率と同じ利回りの国債を発行すること。生保会社が本音で望んでいるのはこの方法で、どの保険会社の逆ざやも解消し、破綻しないから契約者も保護できるし、銀行が保険会社に貸し込んだお金も破綻による債権放棄を免れることができるので、銀行の経営も守れることになります。しかし、これは国の財政負担を伴うもので、結局、国民負担の形になります。国民の生活保障は大事だけれど、銀行のように決済機能がなく国民大多数のいまの暮らしに直接影響しない生保会社を救済するために、国の財政つまり国民負担を強いることができるのか、国民の合意が得られるのかという、まず前提としての大きな問題点があります。いわずもがな現在の財政状況では現実論には成りえません。
 
 もう1つの方法は、保有する既契約の予定利率を逆ざやが発生しない水準まで引き下げる方法です。契約者に約束した予定利率を反古にして引き下げた場合、@約束した保険金額を削減するか、A割引率の引き下げによって不足した分の保険料を追徴するか、の二つの選択肢があります。現実問題として、すんなり追徴に応じる契約者はほとんどいないだろうから、保険金を削減する方法が考えられます。既契約の予定利率を変更する方法は当該保険会社の契約者に自己負担を強いるものですが、前記@と国民負担と違って、所定の法律を整備し当該保険会社の契約者集団の納得があれば実行可能で、民間企業における自助努力の範囲内の方策と言えないこともありません。
 
 金融庁は一昨年、現状を「生保危機」と捉え、金融審議会で既契約の予定利率引き下げ措置の導入の是非について議論されました。主に重い逆ざや負担に苦しむ国内相互会社生保の救済を前提に、相互会社の社員(契約者)自治の原則による保険金削減規定(旧保険業法46条)の復活をめぐって議論されましたが、保険金削減を目的とした社員総代会を開催しようとすれば、その保険会社の解約騒動は不可避であり、もとより社員(契約者)の同意も得られないので実効性が望めないこと。加入時に相互会社についての説明がなく、社員の認識を持っていない契約者に社員の責任を強いることはできないこと。すでにこれらの議論を尽くしたうえで、96年の保険業法大改正で当該条文が削除されていること、などから見送られました。
 
 実はこの時点ですでに、更生特例法による破綻処理で中堅生保2社に貸し込んだ銀行の資金が債権放棄となったことから、銀行にとっては法律的な担保(事前利下げによる破綻回避策)がなければ、新たな劣後ローン供与、基金への拠出に応じられない(銀行が株主訴訟にさらされる)こと、政府・金融庁にとっては大手生保の破綻となれば資本持合関係にある生保・銀行共倒れの懸念があり、「生保危機」というより「金融危機」を回避したいという本音があったもので、契約者の負担軽減の観点での法整備というのは建前に過ぎないと言えます。
 
 生保会社には確かに超長期にわたる負債(責任準備金)運用という特殊性があるにせよ、多額の基礎利益を生み出している現状において、消費者・契約者は保険契約の約束を反故にするような生保会社の信義則にもとる行為を看過すべきではありません。特定の保険会社の破綻懸念が払拭できないにせよ、護送船団行政から自由化行政に転換した今日、あくまでも各保険会社の自己責任で経営努力すべきです。このことは当事者である横山生保協会長も「個別会社の経営努力で解決すべきで、利下げ制度は契約者、国民の信頼を損なう」(03年1月17日・生保協会定例会見)との見解を示して、明確に反対の意思表示をしています。

 一部にすでに政府の必然的な既成方針であるかのような報道も見られる中、今国会上程に向けて、銀行、破綻と無縁なごく一部の大手生保会社の意を体した過去の護送船団行政の亡霊のような一部自民党議員、金融庁幹部、さらにこれらの意を体した一部の報道機関はしゃにむに実行不可能な生保・銀行への徳政令的な立法措置を講じようとしています。
国会提案が実現する可能性は3、4割程度の確率と思われますが、消費者・契約者は「どこの誰が賛成しているのか」をしっかりとウオッチし、この際、保険購買を含むあらゆる行動を通して、明確に「ノー」の意思表示をすべきでしょう。

<最近の保険業法改正の推移>
▽96年4月(7年前):自由化の枠組み。SM比率、生損保相互参入、破綻に備えた安全ネット構築(当初は契約者保護基金→現在は契約者保護機構)。
▽00年5月:早期の破綻処理スキーム(更生特例法=資産劣化を防ぐため裁判所の権限による早期破綻処理)。更生にあたって銀行側の劣後ローンなど貸し出し債権放棄 。
▽03年3月改正案国会提案予定(報道ベース):破綻前予定利率引き下げ措置導入。利率下げ、リストラ、役員退任、経営統合などを骨子とする健全化計画を金融庁に申請または同庁が申請を促す。申請受理後、解約業務停止措置。第三者機関(保険調査人制度)で同計画を審査。引き下げ下限を設定(下限は3%程度を目安=この場合、引き下げ対象は平成8年3月末までの契約3.75%以上。4月以降契約は2.75%以下は引き下げ対象外)。健全化計画は相互会社の場合、社員総代会で4分の3以上の賛成で決議。契約者に通知後、異議申立期間(約1ヵ月)設定(引き下げ対象契約の1割以上の異議申し立てがあれば計画撤回)。

<今回の予定利率引き下げ措置導入についての問題点>
 ▼政府による「失われた10年」のデフレ・超低金利の経済運営の失政を繕うもので、失政の契約者へのつけ回し以外のなにものでもない。本措置はいわば事前破綻処理のような「あり得ない」行政介入のアイデア。結局、ごく特定・少数の危ない保険会社の破綻前に利率を下げておき、破綻させないことで資産劣化を防止し、破綻前に他の保険会社への統合や株転後の売却を容易にするのが狙いで、利下げ措置と他の保険会社との統合や株転・売却計画と抱き合わせになるもの。生きている形を保つことで、破綻後の更生特例法適用により劣後ローンや基金拠出など銀行が保険会社に貸し込んだ資金が債権放棄されるのを防ぐことができ、生保・銀行の共倒れが防止できる。契約者の負担軽減を名分としているが、実際は特定の生保会社を救済することを目的としつつ、本音は特定の銀行救済が本措置の狙いであることは疑う余地もない。
 
 ▼問題点@:実効が期待できず、危ない保険会社の自力復興が望めないこと。
 仮に無理して破綻前利下げを立法化したとしても、特定の保険会社契約者の不安感を煽り、マイナスのアナウンス効果で申請事前の解約を急増させ、破綻を急がせるだけの結果となる。どの保険会社も破綻直前まで自発的には申請しないから、ブランド力のある他社との合併・統合による救済の道筋が出来上がっている保険会社が、破綻直前に半ば強制的な金融庁の申請指導により利下げ申請を行う机上の救済スキームが考えられないではない。しかし、総代会、異議申し立て期間において、多くの契約者の反発が容易に予想されるから、健全化計画における合併・統合の話もまとまらない可能性が高い。
 
 もし、利下げ申請会社において、引き下げ対象契約の解約が一定期間停止され、引き下げ対象外の契約がそのまま継続されたとしても、契約内容を反古にするような保険会社の信頼は著しく失墜する。格付け会社も利下げを申請すれば債務不履行でデフォルト扱いとするとすでに表明している。よって、社会的な信頼が失墜した申請保険会社は以降、新契約の獲得が困難になるので、当面の破綻を回避できたとしても、あおば生命(旧日産生命の契約保全会社)のように既契約の維持管理を行う保全会社になる可能性が高い。この場合、新契約収入が途絶することとなり、期間収益(フロー収益)が急減する。また、現在の生保会社の一般勘定運用利回りが2%前後の水準であることから、仮に引き下げ下限が3%に設定された場合、引き下げられた契約(おそらく保有契約全体の5割以上を占めると推定される)についても引き続き逆ざやが発生するから、保全会社の経営も今後の景気回復→長期金利水準の回復を神頼みするしかない。

 利下げ後、契約保全会社として合併、売却交渉がうまく進めば良いが、そうでない場合はさらなる超低金利の長期化によって2次ロスの発生も懸念され、当面は保全会社として存続できても低い予定利率の新契約が増えない以上、将来にわたって破綻懸念が解消するものでない。もし、利率引き下げ後に破綻すれば、その時点でさらなる責任準備金カット、予定利率引き下げもあり得るわけで、そうなれば契約者にとっては最悪の結果になる。
 
 ▼問題点A:何より、救済立法目的の当事者となる多額の逆ざやを抱えた生保会社自身が本措置導入に反対し、ないしは既契約の予定利率引き下げを行わない旨表明していること。よって立法趣旨が成立しない。本措置は民業への徳政令的な過剰な政治介入であり、1社も破綻させないという金融庁による護送船団行政への回帰に他ならない。保険契約の約束を果たすことで生保会社への社会的な信頼が成立しており、破綻もしていないのに約束を反故にすれば生保産業の存在価値が失われ、生保離れが進み、逆ざやが発生していない健全な保険会社も含めて生保業界全体が大きな打撃を受けることになり、健全な生保会社の健全性すら損なわれる結果を招来する。

 ▼問題点B:経営上逆ざやが負担となっているの国内生保会社は、経営規模は大きいものの、特定・少数の国内保険会社であって、これら逆ざやを抱えている保険会社においても逆ざやを穴埋めしてなお多額の基礎利益を生んでいること。内外社含め多くの生保会社では現状において健全な経営が行われており、利下げの必要性が認められないこと。戦後の適用事例(※下記)に照らして、現状は多くの保険会社にとって救済が必要なほど非常時とは言えない。

 ▼問題点C:これまで生保7社が破綻したが、特定の保険会社とその契約者の保護のためだけに利下げを認めると、契約者保護制度の公平性・一貫性において大きな瑕疵が生ずる。仮に過去の破綻会社における条件変更の内容より、事前利下げの水準が当該会社の契約者のほうが有利になると、契約者保護の上から不公平が生じること。従業員の雇用・待遇面においても破綻会社と事前利下げによる救済会社とでは不公平が生じる。法益の不均衡を招来する立法措置があってはならない。

 ▼問題点D:法理論上の問題があり、契約者保護(安全ネット)法制の一貫性に欠けること。よって行政・保険会社に対する大量の提訴が予想されること。
 戦後の混乱期における行政命令による条件変更事例(※下記)においても、「財産権の侵害」などをめぐり最高裁まで争われた経緯がある。これとて戦後の危機的な社会情勢が考量されて初めて被告保険会社勝訴となったものであり、法理論的には見解が別れた判例である。
 
 最近では、すでに逆ざや懸念が取り沙汰されていた96年の新保険業法施行に際して、法理論的な議論を尽くしたうえで、行政命令による条件変更(旧10条3項)は憲法上の財産権の侵害にあたる懸念が払拭できないこと、旧46条の社員自治による条件変更についても、相互会社の契約者=社員といえども現実には相互会社の社員責任についての説明を受けておらず、契約者は株式会社の保険会社の客と同じ認識で保険加入していることから、いずれも実効性が無いものとして削除されたもの。
 
 保険会社の経営危機対応制度に関しては、96年の業法大改正でソルベンシーマージン比率の導入、契約者保護基金の創設、98年の契約者保護機構の発足、99年の早期是正措置導入、2000年の更生特例法による破綻処理開始など、事前・事後の法整備と対策が措置され、2001年の日本アクチュアリー会による将来収支分析基準によるトリガー策定と逐年整備され、現在は更生特例法による迅速な会社更生を行うルールが定着しつつあるところである。これらの対策により、従来の破綻処理に比べ、最近では旧東京生命の事例のように破綻会社契約者の負担軽減が図られつつある。

 銀行救済を本旨に、これまでの法整備の経緯を巻き戻すような議論を再燃すべきでない。一昨年の金融審議会でも、上記の諸問題を勘案して破綻前利下げが見送られたばかりである。直近の破綻会社の事例でも、更生特例法による迅速な破綻処理でその後順調に更生途上にある外資系保険会社の場合、特別配当で既契約者の保険金削減の補填が実行される見通しにある。破綻会社が出れば現行スキームで迅速に更生させればいいだけの話である。
 逆ざやを埋めて基礎利益が出ている会社に対して、利下げを認めるような措置を講ずれば戦後間もなくの時代とは違って、行政や保険会社に対する大量の訴訟が提起されるだろう。

<※参考:過去の事例>
第2次大戦中の戦争保険金支払で生保会社の経営は疲弊し、大戦直後は在外資産の喪失、軍需補償の打ち切りのほか、通貨乱発によるハイパーインフレで事業費の暴騰、保有契約の実質価値の急減に見舞われ、かつ新契約の激減により生保会社の収支バランスは崩壊の危機に直面した。保険経理面で、保険料収入・運用収入が激減する一方、保険金支払が増加し、現金操作にも逼迫し、全社の経営状況が行き詰まった。こうした危機的状況に対応して、政府は金融緊急措置令、物価統制令の発布等の非常時対策を逐次講じたが、生保会社は昭和21年4月予定死亡率、予定利率、予定事業費率を改定し、標準保険料率を設定、4月以降の新契約に適用した。しかし、事態が一層悪化したため、さらに維持費を引き上げた暫定保険料を11月以降の新契約に適用する一方、保険業法10条に基づく大蔵省の行政処分として12月以降払込期日が到来する既契約にも全社連合で公告のうえ遡及適用した。さらに、抜本的な経営再建のため、金融機関再建整備法に基づき大部分の生保会社が旧会社を精算し、第2会社(相互会社)を設立して再スタートを切った経緯がある。
 
 ちなみに、この暫定保険料の既契約への遡及適用(保険料引き上げ)について、22年7月明治生命の契約者・岡村玄治氏から料率引き上げ無効の訴え(@保険料値上げの処分は業法10条3項に違反しており無効、A10条3項が無条件で保険料値上げを許可する権限を大蔵大臣に付与するものであるなら当該規定自体が憲法に違反しており無効、B保険料値上げは金融機関経理応急措置法に反しており無効、の趣旨)が提訴され、34年7月最高裁判決により被告・明治生命が勝訴した。
 
 しかしながら、主に原告側の、旧憲法(27条3項)新憲法(29条2項)では、@財産権侵害は法律で定めることを規定しており法律でない処分は違憲、A業法10条3項の委任命令の規定は違憲であり、数額の限度を定めていない規定で義務を加重する命令を委任するなら同規定自体が違憲――との主張と、被告側の、@10条3項による条件変更を行わなければ保険会社は保険金支払不能となり契約者保護が図れないこと、A一連の経済非常立法と密接に関連してなされた業法10条3項の発動は当時の社会情勢を十分検討のうえ、公益・公共福祉の見地から総合的に論決されるべきもの、B処分取り消しを求める相手方は保険会社ではなく、処分庁でなければならない――といった双方の主張がかみ合わないまま、政治問題化する「憲法」論議を避けて最高裁判決に至ったと判断して良い。〈03年1月31日、保険アナリスト・山野井良民〉



●「大本営発表」するマスコミはおかしい。利下げをやったら集団訴訟を提起するぞ!

 コラム拝見しました。ここ数ヶ月の間、日経新聞など日本の名だたるメディアに予定利率引き下げについての記事が連日のように載っていました。しかし、どのメディアも明確に反対の意思表示をせず、それどころか「今の状況では止むを得ない」といったトーンの記事ばかりでした。

 マスコミもついに「大本営発表」をそのまま掲載するろくでもないメディアに落ちぶれたのかと一国民として大変情けなく、かつ自分自身の非力さに憤るばかりでした。きっと日本がかつて太平洋戦争に突き進んで行った時も似たようなかんじだったのだろうなと思うのです。

 でも、昨晩、山野井さんのコラムを見つけて読んでみると極めて常識的なことが分かりやすく書かれているではないですか!!このような言い方は大げさかもしれませんが、「地獄に仏」と言っても過言ではないほどの気持ちになりました。ありがとうございます。

 もし、予定利率引き下げのような法律が出来るような事があれば集団訴訟を提起しようと思います。そうそう、昨晩ニュースステーションを見ていたら久米宏が「予定利率引き下げは詐欺だ!!」と叫んでいました。漸く、本物と偽物を庶民の目線で語ってくれる人が出てきました。それにしても生保会社も行政も国会議員も、銀行も自分の事しか考えていない。本当に嫌気が差してきます。(03年1月31日、一国民)

※「おもいっきりテレビ」でみのもんたさんも、詐欺だ!!って叫んでました。(山野井:注)


●利下げには断固反対の声を上げよう!
 超低金利で主要生保会社が非常に厳しい状況にあると言われ続け、破綻生保も7社になっていることは知っていますが、これを契約者に対する、利下げという形で解決しようというのは納得できないことです。

さらに政府主導で行うことには、大いに問題があると思います。景気回復ができずにデフレスパイラルの現在、政府の失政を棚に上げ、私たち契約者(弱い者)に負担を強いることは許されることではありません。

また、マスコミも”利下げは当然”のことのように報道する姿勢にも疑問が残ります。もっと自分自身のこととして考える必要があるのではないでしょうか?

逆ざやで経営が苦しい生保会社でも多額の基礎利益を生んでいる。これは驚きです。ツケは回さないで!!
もっともっと生保会社は努力する余地があるということですね。自分自身のことを言えば、今、個人年金をかけています。将来的に公的年金が破綻するのでは(?)。ささやかな生活防衛のための年金です。利下げ対象の第一番目が年金になるのではないでしょうか?
みんなで利下げには断固反対の声を張り上げましょう!!(03年1月31日、一寸の虫にも五分の魂)



●生保会社は揃って反対して欲しい。お客さまに向き合っている営業職員は困っている
ぞ!
 私は現場でお客様と接している営業職員です。より詳しく言うとかつて破綻を経験し、現在再生しつつある生保会社勤務です。連日報道された生保予定利率引下げ法案について一言。

 正直、更生特例法手続きと、予定利率引下げ法案とは、どこがどう違うのでしょうか?
▽考え方・・・破たん処理か、未来を想定しての破綻予防か
▽責準・・・最大10%か、カットなしか
▽予定利率の引き下げ限度・・・なしか、3%程度か
▽解約・・・更生計画認可まで停止か、引き下げ手続き終了まで停止か
▽営業活動・・・停止か、可能か
 
 勉強不足で頭に思い浮かぶのはこれくらいの違いです。法案の文言はうまくできているようですが、お客様にとっては今回の法案は破たん処理と何ら受け止め方は変わりません。ご迷惑をおかけする点では同じこと。私が実際に接したお客様は、このような報道が流れるだけで、破綻した我社も再度予定利率を下げるのではないか(現在は順ザヤなので実際にはありえませんが)と不安を訴えられています。お客様に与えるイメージは同じでまだまだショックは大きいのです。

 たとえ法案が逆ザヤに苦しむ生保会社の申請主義だとしても、現実問題として我社も!と手を挙げるのでしょうか?まさか、経営者はかつて「みんなで渡れば怖くない。」とばかりに、予定利率の高い保険商品の販売に走ったのと同じく、「赤信号をみんなで安心して渡る。」つもりではないでしょうね。まさか、手を挙げて苦渋の選択をした振りをして経営責任をとろうなんて、安易に考えていないでしょうね。法案が通ることを密かに待っているなんてことはないでしょうね!

 どうか保険会社揃って反対して欲しい。胸を張ってお客様に真正面から向き合って欲しい。毎年年末になると生命保険料控除廃止反対の署名活動を生保全体でしていたではありませんか。今回は何もアクション起こさないのですか?

 以前保険業法で、予定利率の変更は行政命令で可能とされていました。それが破綻時を除いて禁止と改正され、今国会ではまた条件変更を可能とする法案が提出されようとしています。一体どうしたの?根底に銀行救済だの責任逃れだのと囁かれていますが、国の私利私欲も見え隠れして勘ぐりたくなります。

 消費者・契約者の自己責任意識が芽生え始めた今だからこそ、もっとフェヤーにいこうよ。いいものはいい、ダメなものは出直そうと・・・。契約者は無知じゃないよ。以上により法案未成熟につき大反対!破綻経験者の独り言でした。(03年2月1日、愛妻)



●お客様を守る保険代理店の立場から、断固反対する!

@お客さんを守る立場の代理店としては、今回の生保利下げはお客さんが不利に立たされるので断固として反対したいです。

A生保会社はあくまでも自助努力し、契約者に負担を掛けないで欲しいです。

B政府が破綻処理できないので、利下げでごまかしているので許せません。

C今まで特に利率変動終身保険を販売しているので、最低利率を確約しますと言って販売した商品がまったく嘘になり、お客に迷惑がかかりますので、絶対利下げはやってはならないので、反対したいです。

D利下げ処理で保険金の削減、解約の停止 あり得ないだろうけど追徴保険料の徴収なんて絶対行っては困ります。

E基礎利益を出していて尚逆ザヤが回避できないなんて、まかり通らないのではないでしょうか。もっと生保会社の中で経費節減(役員無給)、土地、株等何でも逆ザヤ要因の含み損を徹底的に処分して欲しい。

こんなことが話題になるだけで、これからは格付けの悪い生保会社や国内生保会社の保険販売は避けていかざるをえなくなります。(03年2月4日、天真爛漫)



●社会の信用不安→信用不在を招来する。健全な生保会社を選んで取引している乗合代理店まで影響を被るぞ!
●●自由と責任の原則とは●●
この度の予定利率引き下げの問題に関して、生損保総合乗合代理店 という立場から意見を述べさせて戴ければと存じます。

連日、これらに絡む報道や記事をみると、事細かく述べられているのは主に以下の2点であると思います。
・如何にして生保業界の逆ざやが発生しているか?
・どの様にしてこの逆ざや状態を解消・緩和できるか?
そして、その必要性を締めくくることばは「金融恐慌を引き起こす可能性がある・・・」とのこと。

 細かい背景は大方新聞の通りだろうし、先生のコラムでは、もっと率直に事実を述べられていると思います。
いずれにしても既に一般の個人契約者ではすぐに理解できないような難解なレベルの言葉・内容で問題が論じられている感は否めません。

そこで私は敢えて、その様な業界事情はあるだろうが、本質的な考え方の方向性が間違っているのではないだろうか?との観点から、その意見を述べさせていただきたいと存じます。

私どもは、乗合代理店という体制をとっていることから、どの保険会社と取り引きするか?は自分たちが調べて自分たちで判断します。

従って、私どもは「保険会社選びの自由」を持っていますが、同時に「保険会社選びの責任」も負います。これは、保険会社との関わり方は異なれど、「保険会社選び」という観点では、一般の契約者と非常に近い立場にあるとも言えます。一歩間違えれば代理店経営の根幹に影響を与えることは皆様もご承知の通りです。
つまり、「自由」のあるところには、必ず同時に「責任」もあると思います。

現在、逆ざやで苦しんでいる生保会社は、逆ざやが不可避であったわけではありません。
●保険料・予定利率を設定する自由
●商品内容を決定する自由
●保険会社のビルを建てる自由
●一般勘定の運用投資先を設定する自由・・・・

そして、一部規制はあるものの、それら「判断の自由」がある分だけ、「結果の責任」も伴わなければなりません。
この基本的な自由と責任の法則が成り立たなければ、日本社会はおしまいです。なぜなら責任が伴わなければ、それは「規制」しかないからであり、そうなれば既に民主主義ではないからです。

だから、あくまで「逆ざや」とは、保険会社という一企業の経営判断のミスでしかないのであり、それにより会社が苦しみ、努力するのは保険会社の責任であって、どこからも助けられるべきものではないのが大前提です。また、同時にその保険会社を選ぶ自由を持っていた契約者が、保険会社の倒産によるデメリットを被る、というのも責任です。

しかし、だからといって、一般国民に影響のある生命保険会社の倒産を野放しにしておいては、国家として統制がとれないばかりか、社会的に様々な周辺問題を発生させるのも事実であることは確かです。

よって、政策サイドでなんらかの「手」を打つことは否定しませんが、その「手」の打ち方が上記の「自由と責任の原則」から外れては、本質的に間違っている、というのが私の意見です。

特に、義務である保険料支払いを続けてきた契約者に対し、既に獲得済みの権利であるハズの、予定利率・保険金額を反故にしていい理由など、決して存在しません。それは「違約」です。

だから、国が手を打つならば、あくまで最後の経営努力をやり尽くして、それでも倒産せざるを得なかった保険会社の契約に対し、その存続や残存に対して手を打つのが筋ではないでしょうか?

本当に消費者保護の観点から政策命令を出すのであれば、より早い段階で「業務改善命令」をより具体的な項目を含んで出すべきです。

●契約者を泣かせる前に役員・社員を泣かせる施策を本当に採っているか?
・本当に必要な社員以外を置いていないか?
・役員級は本当にITを勉強し、積極的に経営効率化に取り組んでいるか?
・駅前のドデカイビルは本当に持ち続けるしかないのか?

逆ざやに苦しんでいると言われる各社では、逆ざやを例え0.001%でも圧縮するために、ドラスティックな態勢移行は行っているのでしょうか?

私どもは小さな代理店といえども、企業です。従って、自分たちの経営判断ミスから苦しくなれば、まずはトップの給料から削ります。現在、逆ざやに苦しんでいる保険会社の役員報酬は、この問題がマスコミの間を飛び交う中、どの様に推移しているのでしょう?
まさか自分たちの退職金原資をキープした上で、役員会のテーブルに着いているわけではないですよね?

 この様に、今回の予定利率の引き下げの問題は、その方向性が本質的にずれているだけでなく、それが「起こりうる」という事実そのものだけでも、健全な経営をしているその他の保険会社に大きなデメリットを生じさせます。

 なぜなら、契約者から見れば、「どんな保険会社だって、将来その約束を反故にする事があり得るんでしょう?」ということだからです。

 これにより、逆ざやとは無縁の健全経営をしている保険会社や、自らの努力でそれらの健全な保険会社を選択し、取り引きしている代理店まで、大きな信用喪失を被ります。

 そしてやがてはその問題は保険業界だけでなく、金融全体や、金融だけでなく長期の無形サービスを提供する業界全体に影響を与えるばかりか、その延長には「個人の既得権」が「政策命令」によって将来的に脅かされる、という社会的に非常に危険な事態を引き起こすキッカケにもなりかねません。

よって、私は敢えて言います。
●金融恐慌を回避するためと称される「予定利率の引き下げ」は、<信用不在>という新たな金融恐慌を引き起こすであろう
と。

 もし、政策サイドの内部事情や保険業界の内部事情を、もっと事細かく追求すれば、様々な観点から幾つもの「真理」が飛び出してくるでしょう。しかしながら、どの様な施策であれ、「自由と責任」という自由社会の原理原則から外れたものは、国家施策として実行すべきではありません。必ずその場のメリット以上のデメリットを、将来に渡って生み出すからです。

 従って、一部、前の方の意見にもありましたが、
●各保険会社の皆様は、この問題に対してもっと真剣に訴えかけるべきです。
●マスメディアは、もっと純粋に「大衆のメディア」であるべきです。
 同時に、
●一般消費者も人任せにしない為に、自分で努力して選び、自分で責任をとるスタンスを持つべきです。
●国家政策は、それら一般消費者の努力が促進されるよう、国費を使うべきです。

 長くなりましたが、論を結べば、「当たり前のことが通らない世界は危惧すべき」という事です。(03年2月5日、理不尽大王ガンダム)

●断固反対!保険会社は傍観していないで、法案反対の署名運動をやってほしい
 意見や提案と言うほどのおこがましい事は言いませんが、利率引下げは絶対反対!

 でも[自分は忙しい。反対する人は一杯いるだろうから、誰かが何とかするだろう」「決まりはしないさ」、とたかをくくっている人や、「気になるけど一体どうしたらいいのだろう?」とアクションを起こさない人が大部分だと思いませんか?

 この法案が通ると「会社の信用にかかわる」と保険会社が本当に思っているのなら、傍観してないで少しでも早く法案反対の署名運動でも、始めたらどうでしょう。

 具体的に動けば自ずから具体的な答えが出ると思うのですが。(03年2月5日、何もしないのが一番いけない事と思っている営業社員)

●利下げは絶対に許されない!国民を泣かせるな!
 山野井さんの保険のサイトを見させていただいて予定利率のことが書かれていますが、私の感じていることを記載させていただきます。生命保険の予定利率の引下げという法律は本当にできるのでしょうか。信頼して加入した保険契約の内容が勝手に変更されてよいものでしょうか。経済環境が予想をしていなかった程悪化していることは理解できますが、自分の万一に備えて・老後も安心して暮らせる様にと思い加入したのです。

 加入している生命保険会社に問い合わせると、予定利率を引き下げることは行わないとの返事を聞いて安心していますが、それでも連日の報道を見ると不安が残ります。マスコミ報道にも疑問を感じます。どこの保険会社も予定利率は引き下げないといっているにも関わらず、さも明日からでも予定利率が引き下げられるような記事が出ています。しかも、その中で予定利率を引き下げるのはやむを得ないといった、我々契約者を全く無視した記事も書いています。
 
 前に見たテレビではあるFPの方が、生保は護送船団方式で国の認可は必要であったのだから、国が勝手に誘導しておいて厳しくなると保険会社を救済するためだとか、銀行を救うためだとか言って、その負担を我々に強いるようなことを行っているので、その責任はしっかりと追及しなければならないと。議員の方々も下げるべきだ、いや下げるべきではないとそれぞれ勝手に発言している。我々は一体何を信じたら良いのでしょう。

 契約者の声も聞かないで勝手に予定利率を下げることは絶対に許せません。決まった後でこうなったからよろしくというのはあってはならないこと。昨日は生命保険のセールスの方とも話す機会がありましたが、その人も会社からは引き下げることはしないと言われているし、新聞では引き下げる具体的な内容まで出ており、一体どうなるんだとお客さまからいろいろ聞かれて大変なんですって言っていました。

 経済全体もどうなるかわからない時代、一体この日本という国はどうなってしまうのでしょうか。国民を無視した議論を行うよりも、デフレ状態の脱却・長引く株価の低迷、下落の状況を早急に改善することが最優先ではないでしょうか。情勢が好転すれば、不良債権問題や予定利率引下げ議論などおこらないはずです。政治は国民一人ひとりが豊かで幸せな生活を送るためにもデフレ脱却・株価改善を真っ先に取組むべきです。国民を泣かせる、痛みを伴わせることをいつまで続けるのでしょうか。取組むべきことにしっかりと取組んで欲しいと思います。(03年2月7日、日本を想う一契約者)


●営業職員を守る労働組合はどうなの?生保労連は利下げ賛成?の噂が流れているけど……

 国内生保の営業職員の方は利下げの議論が盛り上がる中で毎日の営業に支障が出て迷惑しているのに、各生保の労働組合はどのような反応を示しているのでしょうか?

 労働組合としても会社に対して予定利率の引き下げを容認するなと申し入れしているのでしょうか?そのような声が全く聞こえてこないです。まさか労働組合として容認しているのではないでしょうね?

 流れてきた噂では、生保労連は裏で会社と手を握っていて予定利率引き下げに賛成していると聞きました。しかも連合自体も生保労連に賛同していて民主党を押さえているという話しも聞きました。これが事実だとしたら、とんでもないことですよ。何を根拠にそんな妥協をしているのでしょうか? 明確な説明をする責任があると思います。

 確か最近の業界紙を読んだら、生保労連委員長が「国民に対するベストアドバイザー活動を積み重ねていく」と明言していたように思いますが……国民不在、営業職員組合員不在の活動としか思えません。(03年2月12日、外資系組合員)


●正論を通すか、痛みを分かち合うか、冷静に議論すべきでは?

 損保系生保代理店の立場からは、自分たちが販売した契約が利下げの対象になることはあり得ないという前提で、客観的に受けとめている。一般論としてどうすればいいのか、を冷静に考えている。

 普段、お客さんと話している事は、「約束が守られないのはけしからんという単純な問題ではなく、将来、生保会社がどうなるか?を考えると、どこかで妥協しなくてはいけない事もある」と。ただ、もし、そうなった時、お客さんが今の契約をどう考えるか?それはお客さんが決めること。

 損保系生保は今回対象外だけど、相互会社の社員(契約者)の場合は本来、考え方としては約束どうりいかない場合があると言う事を必ず話しをしてる。お客さんも、それを頭に入れて考えて欲しい。要は個別の相互会社がお客さんを納得させられるかどうかの問題。

 生保に対して不安があるからこそ、議論する必要を感じている。保険会社は約束を守るものという正論を通すか、相互扶助の精神で破綻するより妥協して痛みを分かちあうか。生保会社が7社も破綻した今日、以前と違って契約者は案外冷静だと思う。(03年2月17日、損保系生保・リベラル)



●「他社の問題」ではない。保険業界は保険道の王道を歩んで欲しい。

★リベラル氏の冷めたご意見を読んで一言。

★昨今の報道どおりに進めば、@引き下げは全社一律ではない、A事業承継困難であるという一定の要件あり、という内容で法案が国会に提出されることになるのでしょう。
ここで気になるのは、今回の法案が一昨年に金融審議会で検討されたときの前提条件──「将来収支分析により5年以内に破綻可能性がある会社には適用しない」「解約を停止しないし、解約控除もかけない」「契約者集会を開く」──とまったく違う、ということです。つまり<既契約の予定利率引き下げ>が破綻の未然防止、という色合いから、破綻処理の一種、というように、巧妙なすりかえがなされています。

★破綻処理の一種であれば、リベラル氏のいわれるように、適用可能性がある人は一握りの生保の契約者、ということになりますから、正論か痛みかを当事者が判断すればいいという考え方に落ちつくわけです。金融庁なり自民党は、どうもそういう前提にたって、悪法を通そうとしているように思えます。
自分には関係ない・・・と世論がどんどんひいていく状態が予想されます。

★そうなると、金融庁の監督責任はどうなるのでしょうか。3月の決算で5年以内にの破綻可能性がある生保があったなら、ただちに破綻処理に移行しなくてはならず、その場合は本来は、予定利率の破綻前引き下げはできないはずです。常識で考えれば、そこでズルをされたことに世論が黙っているはずはないのですが、「破綻よりマシ」とか「さんざん報道されたのだから契約者の自己責任が当然」、というような世論操作が行われ、出たがり屋の「保険専門家」のうそっぽいコメントがマスコミにとりあげられ、金融庁は安泰…そんな流れができるとでも思っているのかもしれません。

★とにかく、今回のようなだまし討ちのようなことが通れば、保険に対する消費者の信頼はガタ落ちするでしょう。
保険業界で働く人が「他社の問題」と考えて冷めていっていいのでしょうか。
消費者は「明日はわが身」と考えて、経済合理性とは無縁な行動を起こすことも容易に想像できます。
また、法案が通って、それを利用しようとする会社が出たとすれば、その余波は思いがけないところにも波及するとみています。
僭越ながら、保険業にたずさわる方々には、保険「屋」として自分の庭先だけ掃き清めるのでなく、保険「道」をきわめていただきたい、と感じています。(03年2月18日、かぐや姫)



●監視の目はゆるめないぞ!消費者・契約者のために、健全な保険制度のために。

 大方の予想通り、政府与党は4月の統一地方選を控えて、利下げ案の3月国会提案を見送った。これでも銀行と一部大手生保の意を体した旧大蔵官僚OB与党議員も、さらにその意を体した金融庁も仕事はしたという体面を繕うことができ、今後、破綻生保が出てきたときに「ほら、あのとき、言ったじゃないか」というエクスキューズも言えるというわけで、まあ、見ていて実に偏差値の低い茶番劇である。なお悔い改めない輩もいるだろうし、ゴールデンウイーク明けに再度提案を試みる可能性もなしとしない。1社2社の破綻では済まない保険制度の根底を破壊する邪なアイデアが再び登場することのないよう、消費者・契約者、そして大多数の保険業界人はしっかり監視し続けなければならない。

 にしてもこの間薄気味悪いほど、妙ちきりんな動きがいろいろあった。ポーズだけで世間を騒乱した政治屋と役人はハナから説明責任を放棄した。国民の指弾を受けねばならない。お上の大本営発表を垂れ流し、国会提案への先兵役を担った一部マスコミも自省しなければならない。とりわけ日経新聞(さすがに終いのほうは及び腰になってきたが)は、巷間、あれは経営上層部の指示ではないかとまで言われ、他のマスコミの失笑を買った。若い現場記者たちはある意味、辛い立場にいたのかもしれない。理念無き数字計算報道の結果、「自分には関係無いだろうから(自分の契約先保険会社は破綻懸念が無いから対象にならないと思うので)利下げ制度があっても良いのではないか」といった世論を一定程度醸成した。報道の説明責任を明らかにしなくてはならない。

 実効性ゼロのアイデアに薄笑いさえ浮かべ、自民税調と金融庁と基金拠出先の銀行を横目で睨みながら、一方で目下の2月戦への影響を心配し、「お上の法案作成には反対できないから賛成。しかし、実効性が無いから意味がないという点で反対」という当事者能力を疑わざるを得ない生保経営者の精神萎縮ぶりは、腹立たしさを超えてもの悲しく、恥ずかしかった。国民経済に目を向けて信頼の契約制度を守り抜く気概を明示した経営者は知る限り、国内生保では皆無だった。無念なほど小さい。生保不信渦巻く現場で必死に働く営業職員にあわせる顔があるのか。草葉の陰で先人たちは涙していることだろう。(03年2月19日、山野井良民)



●経営者は他力本願する前に自社の社員を信じ、契約者を守る気概を示せ!

この前大手生保の社員と話す機会が有ったので、「貴方の所利下げしないの?」と聞いてみたら、「うちは社長が逆ザヤ埋めるお金は有るので利下げはしないと言っていた」とのことでした。一部の生保を除いては、そこそこの生保も、今厳しい生保も含めて営業社員は皆大小の差はあっても、不安気持ちで働いていると思います。

 こんな時自分の会社の経営者が「わが社は契約者のために契約条件は守り抜く!」と言う気概を内外に示せば、社員も「この社長の為なら、この会社の為なら」ときっとこれまで以上に頑張ることでしょう。そしてそうなれば結局はその会社は「顧客を守り、会社の信用と社員を守る」事になるのではないでしょか。

 利下げ法案を右に倣えの政治家や、風見鶏のような生保経営者は「生命保険会社」とは「契約者はもとより、顧客を大切に思う営業社員あってのもの」と言う事を忘れてはいませんか?少なくとも営業社員はお客様と共に喜び、泣いているのです、「人は石垣、人は城」。他力本願する前に、自社の社員を信じ、その仕事に賭けて見ませんか! 社員や顧客を守れない社長には経営者の資格は無いと思うの私だけでしょうか。(03年2月25日、外資系生保社員)



●契約者保護というより契約者反古?「利下げ法」は国内生保総崩れへの引き金になるかも。

 パブリックコメントも求めず、金融審議会をイベント化し、りそなへの公的資金注入・自衛隊のイラク派遣という国民関心事の重要法案の陰に隠れてほとんど国会審議も行わず、ついに予定利率引き下げ法案(保険業法改正)が7月中に成立する運びとなった。デフレのツケ回しの護送船団行政への回帰です。あるTV局の消費者調査では、利下げ賛成(仕方がない)と回答した人の大半は予定利率と配当率がごっちゃになっていたとのこと。このところ生保各社が不在籍営業職員の契約保全対策に注力する中で解約・失効がおさまりつつあったが、法案策定作業に比例してまたぞろ国内生保は解約増加傾向に反転しつつある。天(市場=消費者・契約者)に向かって唾を吐いたら、そりゃあ我が身に降りかかってくるのは先刻承知でしょうな。おのおの方。で、その責任は誰が取るの?

 生保業界内に3つのビジネスモデル(逆ざや負担の大きい国内生保、逆ざや負担が軽いか無いかの外資系生保、損保系生保)が確立しているにも関わらず、表向き総論賛成(「許認可事業なので監督官庁には抗えない」「今回の業法改正は96年以前の旧業法に戻るだけ」「相互会社社員間の利益格差是正が必要」「国内生保間で根回しして、やる時は行政主導で一斉利下げ申請すればいい」「特定の生保の問題であり、ウチは関係ないからあえて反対することもない」など)、本音は各論反対(「ウチは利下げしない」)という、あいも変わらぬ大手国内生保主体の天動説経営でものごとを判断していると、市場に置いて行かれますよ。特定の生保のみならず、格付けや規模の大小に関わらず、遠い将来の約束を守ることで成立する生保会社のレゾンデートルを自己否定なさる国際非標準の法律に身を委ねることとなった国内生保(逆ざや負担が大きいという意味で)への一般庶民的な鑑賞のポイントは、「逆ざや額の大きさ」にほぼ集約されるでしょうな(やや専門的に週刊誌なんかでは含み損の大きさとか、ソルベンシーマージン比率なぞも参考値にはなるでしょうが)。

 てーことは国内生保から→今後は涼しい顔してこのチャンスを待っていた外資系・損保系生保へのニーズならびに契約移転(新規・乗り換え)が顕著になるっつーことで、ま、ま、それくらいの覚悟はできているということですな、国内生保のおのおの方。余計な詮索ですが、保有契約の5割以上が不在籍職員のいわゆる「孤児化契約」っていう実態考えると、よそもんの私ですらかなりドキドキしちゃうんですけど、杞憂に終わればいいけど。最近は国内生保どこも生き残りをかけて、多くの内勤職員が犠牲(リストラ)となり、フローで飯が食えるようにと生産性重視に変わってきつつあるように思っていたし、その自助努力を結構評価してたんだけど、こりゃまた陣容拡大しちゃうか。でもなー、すでに団塊世代は死亡S市場の主体じゃないし、そこらじゅうみんな保険にいっぱい入っちゃってるから、昔の陣容拡大の原則である売り手=買い手の論理も成り立たないしな。


 「保険会社が詐欺やっちゃあ保険金詐欺はつかまえられない」って、テレビで下品なギャグかましたら結構ウケたんですけれども、国内生保の皆さんだって、「許認可権を握られている事業だから、契約者保護を建前に取られたら自民税調や監督官庁に表向き反対はできない。うちは関係ないから契約者保護のために国が法改正やるというのなら反対できないという意味で表向き消極的な賛成。ただし、保険会社が契約不履行なんてできっこないし、100歩譲っても保有純減下のいま法改正やるのはいかにも時期が悪いから本音は絶対反対」と、私に言っていたような気がするんだけど。空耳かしらん。やっぱ民間企業なんだから、役人の顔見てないで、市場に本音を言わなきゃ。

 ところで一つ、専門家のおのおの方にうかがいたい。利下げに関して、確か相互会社における社員間の利益格差是正なんて話が聞こえてきたような気もするんですが、そういう一見専門的なご意見を宣う専門家の方、ぜひ教えてくださいな、相互会社創始以来、社員間の利益格差が発生しなかったことってあるんですか?いやいや、正直私知らないのです。著しい格差を塩梅する必要があるなんて、理論的な基準が曖昧な出来の悪い役人みたいなこと言わないでさ。ツブツブの個人契約から団保・団年まで含めて、予定死亡率・予定利率・配当率から付加P割引まで加入時期・年齢・種類等含めて、現実に利益格差が発生しない方法って民間保険の運営上あるんすか?もしあったならばそれこそ市場経済が生保事業には働いていないてことの証左になっちまうような気がするんですけど。ん?それとこれとは違うって?じゃー教えてちょうだい。社員間の絶対公平なんて民間会社にあるんすか?終身保険やら終身年金の損益変動なんてえらい長い話なんでさ、鳥頭の私にゃー分かんないなあ。

 ともかく「契約者保護」ならぬ「契約者反古」(うまい!筆者自賛)の法律を作ったってことは、市場の不満が高まり、法改正後、次はどこが利下げするかに世間、マスコミの関心が移るから、直に「生保逆ざやランキング」とか「利下げ生保大予想ランキング」てなマスコミ企画が出てきたりで、国内生保への風評・バッシングが姦しくなるだろう。社員を構成員とする相互会社も含めてやたら「お客様…」を連呼している割には、今回の法改正に際し、サイレントピープルを含め市場の不満に生保会社は反応しなかった。従来なら、風評が発生した場合、圧倒的なシェアを占める国内生保間での契約移転が起こったが、生保3業態のビジネスモデルが確立し、死亡S→第3分野への市場構造変化が起きている今日、今回の法改正は逆ざや構造から抜けられない国内生保にとっては大きなイメージダウンとなるだろう。AFLACの件数日本一が死亡Sに慣れ親しんだ専門家の常識を超えて、なぜ大きなニュースになったのか。いまからでも遅くない。国内生保は市場(お客様)の声に耳を傾け、蛮勇を奮って護送船団のDNAから決別しなさい。市場に向けてここは「法改悪」についての意思表示をしておきなさいな。生保100年の大計のために。

 当初は法律を作ることが目的であったものが、役人のDNAというものは自らの権益を誇示するために今度は法律を使いたくなるもの。破綻して裁判所が処理したものならば契約者も保障継続のために最低限納得し、よって受け皿会社も現れるだろうし統合スキームも成立するだろう。しかし、民民の個別契約に対して国法が後ろ盾となり事前破綻処理という世界的にも珍なる財産権の侵害を行おうとすれば、そりゃあサイレントピープルも怒るだろう。役所が根回しして自主申請を繕ったところで、解約業務停止命令を総理大臣がやるとなれば、こりゃあどう考えても契約者の選択権は排除されるわけで国による財産権の侵害になるだろう(今回は法務省は沈黙してる)。破綻するよりトクと契約者を恫喝して異議申し立てをクリアできたとしても、契約者の中には多数の法曹関係者や学者、マスコミ、その他大勢のオピニオンリーダーもいるわけで、絶好の裁判機会と捉えるだろう。そも消費者・契約者の権利意識自体が大戦直後の昭和21年当時とは大きく様変わりしている。こういう前提で統合スキームが組めるだろうか?受け皿会社側の社員・株主訴訟も十分想定される。外国人投資家を多く抱える株式会社の保険会社や銀行はまず動けないだろう。まさに絵に描いたような見事な机上の空論だ。

 個別会社では対応できないから、リスク分散して逆ざや負担の大きい国内生保複数社(内容の良い中堅社は加わらない)をまとめて水面下で行政指導して申請させる手も考えられないではないが、やはり統合スキームが組めない限り、「契約者反古」をすれば新契約が途絶し、契約管理会社化し、業務再開後は解約により保険料収入が途絶し、やがて破綻に至る。今回の法改正は、96年施行の改正保険業法論議の中で、実効性がないとして削除された2条文の事実上の復活に過ぎないが、であるならば旧保険審議会の委員たちは何故沈黙してるのか?実は突っ込んだ議論はしていなかったのか?公費を収入した者として彼らの意見公開が必要である。その時すでに「渋谷村生保」の逆ざやによる経営危機が迫っていた事実は、少なくとも専門家の間では周知のことだったと記憶している。

 今回の利下げ法案にも、賛成派もいれば反対派いる。民民の契約に国が介入する大問題であるがゆえに、あらゆる議論や情報を公開し、議論を尽くす姿勢を持たなければ、生保のみならず損保も含め保険会社全体が市場からおいておかれるだろう。それこそ、無認可共済問題をつついている場合じゃない。(締め切りに追われてるのに、あ〜あ疲れた)
03年6月15日、いまとなってはごまめのハギシリ状態の山野井良民)

<終了>