●生保構成員契約規制について
 
生損保チャネルミックスの進展で規制が足かせになるのでは
 
業務の代理・事務の代行により業態の垣根を越えた生損保グループ化が進み、販売チャネルの共有化(クロスセル)が本格化し、とりわけ企業代理店の生損保併売システムの共同化が具体化しつつある現在、現行規制はグループの自由な職域マーケット戦略の展開を制約することにならないか。 
 
 とくに変額年金など401k対応生保商品の普及、企業の福利厚生事業のアウトソーシング化の進展を視野に入れると、企業代理店のプロフェッショナル化の条件整備を前提に(それすら不要か)、規制緩和を具体化すべきではないか。
 一定規模以上の大企業において圧力募集が起こる可能性は低いのではないか。企業代理店募集従事者数のお寒い実態はあるが、そろそろお互いに本音でより合理的な職域マーケティングのあり方を論じ合うべきではないか。(2001年8月9日、山野井良民)


 
構成員の「商品選択の機会の平等」奪う現行規制
 構成員契約規制を考察するにあたり、各プレーヤー(保険会社、営業職員、企業代理店、顧客たる構成員)の立場からメリデメを把握するという姿勢が必要と思われる。

 そして、バブル崩壊後の業界内外の環境変化に伴い各プレーヤーにとっての構成員契約規制のメリデメがどう変化したのかを把握することが必要となろう。

 その上で方向性を確認し、誰の利益を優先させるのかさせないのか、場合によっては切り捨てるのかを見極める必要があろう。

 あとは、その利益目標達成のために構成員契約規制を現状維持とするのか、どのように改廃するのかをスケジュールも含めて結論付けることになろう。

 さて、取り敢えず、議論のたたき台を以下提示させて頂きたい。
各社とも商品がほとんど横並びで画一的な商品を大量に売りさばく時代においては構成員契約規制の存在が契約者にとって「商品選択の機会」の平等を奪われる可能性は低かったと思われる。契約者はどの保険会社を選んでも同じような商品しか購入できないからである。

 しかし近年、様々な商品が市場に登場するようになった。こうした環境変化の中で構成員契約規制は顧客である構成員に「各社の商品を案内される機会」「商品選択の機会」を奪っているのではないだろうか? 顧客たる構成員に対してはもっといろいろな商品を紹介され比較検討する機会が与えられてしかるべきではないだろうか?

 そして、どの商品が「良いか」はこうした機会の平等を提供できる新たなルールに基づいて市場で顧客が評価し決定されるべきではないだろうか?(2001年8月23日、生保・ハイジ)


●緩和論を主張するのは常に機関代理店と損保会社だけ

 これまで、構成員契約規制を緩和してほしいとの意見は誰から出されているだろうか?
 消費者からの声を聞いたことは一度もない。緩和論を主張しているのは常に機関代理店と損害保険会社だけになっている。
 
 最近は一部の銀行が構成員契約規制緩和を主張しているようでもあるが、これもいわゆる機関代理店の主張とは一線を画しているようである(銀行は役員派遣をしている取引先が特定関係法人の範囲に入り、実質商売ができないことを懸念しているのでは。つまり、圧力募集をしたいという主張かな?)。

 では、本当に消費者の商品選択の機会は、本当に構成員契約規制により失われているのだろうか。機関代理店で構成員販売が可能な損保分野では、商品選択の機会が広く確保されているのか。損保分野において、機関代理店が全保険会社の商品の品揃えを持ち、構成員がすべての商品から最適な商品に加入できる環境が確保されているとは、とても思えない。これは、むしろ逆で米国が指摘するように、むしろ系列取引の温床となっている。それは、業界全体における外資系のシェアの生損比較をすれば、明らかではないだろうか。

 また、消費者が商品選択のための情報を必要としているが、商品選択の機会を必要としているという声は聞いたことがないが・・・。

 グローバルスタンダードで言えば、構成員契約規制は諸外国にはないであろうが、機関代理店も日本独自の文化のようだ。構成員契約規制は規制そのものを論ずるのではなく、異質な日本の商慣行である機関代理店問題抜きでは議論できないのではないだろうか。 (2001年8月23日、生保・CLEANBERG)


●生保側の主張は、とどのつまり規制緩和論議自体を否定するもの
 
CLEANBERGさんは論議自体を形骸化しようとしているのではないでしょうか。 CLEANBERGさんのご意見をまとめると、緩和論は機関代理店と損保以外から聞いたことがない、消費者が商品選択の機会を必要としているという声は聞いたことがない、機関代理店は異質な日本の商慣行でありそのことこそ問題、となりますが、これらはいずれも「だから規制を存続する」という理由にはなっておらず、「構成員契約の『論議』は必要ない」とおっしゃっているだけのように聞こえます。 「規制は必要」という論理立てでないと、そんな規制はなくてもいい、ということになります。
 
 また、機関代理店で全保険会社の品揃えを持ち消費者が最適な商品に加入できる環境が確保されているとは思えないとありますが、消費者は機関代理店からしか商品が買えないわけではないですから、これも変な論理です。

 損保従業員マーケットはいわゆる「圧力募集」が跋扈し他代理店で加入する選択肢のないマーケットとなっていると誤解されているのではないでしょうか。緩和論者は、消費者の選択肢を制限すべきでないといっているのです。供給者論理ではなくもっと市場論理にたった議論をしたいものです。

 それでも、機関代理店批判ということでしたら、生保にはないのかもしれませんが、物品やサービスを従業員に斡旋する企業の関連会社は一般的です。これを国際標準でない日本的な商慣行とばっさり切られるのでしょうか。構成員契約規制は消費者本位の考えにたって撤廃され、機関代理店は消費者の選択肢を広げる販売ルートとして存続されるべきでしょう。(2001年8月25日、損保・帰省閑話)


●優先されるべきは、機関代理店制度の持つ歴然たる問題点の議論

 生命保険商品は、損保商品とは異なる商品特性(長期性、保険料の高額性、原状回復の困難性)から個別対面販売を行なってきた。

 日本的雇用慣行のなかで、機関代理店が企業本体への「影響力を行使」し、「他チャネルの排除」を通じたインナーマーケットの囲い込みを行い、「上司の斡旋」のもとに「代理店及び企業本体にとって都合の良い元受保険会社、パッケージング商品」を「回覧募集」する行為自体が、終日を職場に拘束される従業員にとってベストな保険選択機会の喪失を意味する。ましてや原状回復の困難性を伴うのが生保商品である。またそもそも「回覧」というスキームが「募集手数料」を得るに足る対価性を持つのか?

 失われつつある生命保険業界に対する信頼感を回復させるべく、消費者の立場に立った商品組成、肌理細かいコンサルティング体制の確立に向けて血道をあげて各社が経営努力を傾注している現下において、このような機関代理店による構成員に対する一連の募集スキームは生命保険業界に対する更なる不信感を招来するものでしかない。

 従業員の所属企業に対するロイヤリティにもたれかかり、企業グループとしての収益の内製化を図るために、従業員の保険選択機会の自由を収奪している機関代理店制度そのものの問題点こそが徹底的に議論され、それが解決されない限り、構成員契約規制は消費者保護のための制度として存置することが不可欠である。(2001年9月3日、生保・木を見て森を見る)



●保険事業の明日ために規制緩和を!

 生命保険に対する消費者ニーズは死亡保障から生存保障・医療保障に大きくシフトしている。保険業界はこうした消費者ニーズの変化に積極的に対応して行くべきであるし、また積極的な対応が保険事業の拡大・発展につながる。企業の従業員マーケットについても事情は同じである。保険会社としては拡大しつつある企業従業員の生存保障ニーズや医療保障ニーズに対し、商品・サービス、販売手法の開発等に積極的に対応していくべきである。

 具体的に見ていくと、企業従業員向けの商品・サービスの開発については、401Kの導入等により年金保障を中心とした生存保障に対応するさまざまな商品が開発されつつあり、また医療保障分野についても第三分野の開放により従来なかった医療(がん)分野の団体保険が開発されるなど新しい発想の商品が開発されている。一方、販売手法の開発についていえば、企業内のイントラネットを活用した保険募集等IT技術を活用した新たな販売手法も広がりつつあるが、構成員契約規制の対象外である医療保障についてはともかく、生存保障については次のような懸念がある。

 すなわち、医療保障は保険固有の分野であることから(共済も含めた)保険業界内の競合となるので、業界内で規制することは(消費者本位かどうかという議論はさておき)業界の論理という整理ですむが、生存保障はいわば金融商品であることから保険以外にも極めて多彩な商品が存在、競争が激しく、業界内規制は他業態を利する行為といえる

。これまで実例を聞かない業法違反(圧力募集)の懸念を理由に、業界内で自ら手足を縛るということは極めて愚かな行為であり、苦しい事業環境の続く保険事業の明日のためにも即刻規制を緩和すべきであろう。(2001年9月5日、損保・あしたがあるさ)


●機関代理店への委託が進むまで時間稼ぎするつもりの生保
CLEANBERGさんは「構成員契約規制を撤廃すると圧力募集が起きる。機関代理店は系列取引の温床だ」と言います。まず、第一分野商品だけに圧力募集が起き、第二分野、第三分野には起きない理屈が分かりません。

 実際に損保の例では、職域の30%の構成員が加入したら大成功、通常は10%程度と聞いています。それよりも、特定の生保会社だけ職域に参入させておいて、その生保会社が破綻したとき、企業側はどのような責任をとられるのでしょうか。それが心配です。

 生保業界の人達も、構成員契約規制が存続し続けるとは誰も思っていないのではないでしょうか?大手生保は着々と機関代理店に生保委託を進めていることは周知の事実です。要するに、損保の子生保と互角に戦える程度、機関代理店への委託が進むまで、先延ばしにしているという見方もできます。

 これだけ環境変化が激しい経営環境の中では、自己責任原則に基づく選択を消費者に委ねることも重要なことです。少なくとも、消費者はそれを望んでいます。迅速に次の戦略を打ち出していくことが、今の生保業界に求められているのではないでしょうか。(2001年9月8日、損保・海の遺産)


●消費者=従業員保護のために規制が必要
そもそも構成員契約ルールの趣旨は、あくまで企業代理店が職制等の地位を利用し自らの従業員等を加入勧奨することを防ぐために定められた「消費者=従業員保護」のルールであるはず。

 しかも、この規制においては、企業代理店が一般の顧客に対して保険募集を行うことについては全く制限されておらず、代理店や代理店チャネルを活用する会社にとって参入障壁となるものではない。(自社内の従業員の保険を募集しないと困る企業代理店など健全な代理店といえるであろうか。)

 実際、我が国の多くの企業における日本的雇用関係(業務以外のこととは言え人事考課権を持っている上司の勧めに逆らうことができる環境が整っている企業など殆どないのではないか)、及び昨今の失業率等の雇用実態(多くの従業員には常にリストラされるのではないかとの強迫観念がつきまとっている)を踏まえると、当該ルールは、職域の消費者すなわち従業員保護のためには絶対必要と考えられる。

 事実、このような環境下にさらされている消費者=従業員からはこうした規制撤廃要望など聞いたことがない。こうした主張は全て自らの利益追求のみが目的のものであり、消費者側からの視点の議論が全くなされていない。(2001年9月14日、生保・生一番)
  

●両業界のナワバリ争いの議論は止めて、日本版金融サービス市場法創設に尽力すべき
 消費者サイドから申し上げます。
 損保業界のかた、生保業界のかた、ともに「消費者のため」を撤廃・緩和・継続の論拠にしておられるようですが、ほとんどの消費者は、保険業法という業者を律する法律の省令にかかれている事項について、まったく知りません。「構成員契約規制」という言葉すら、ほとんど目にも耳にもしていないはずです。

 そういう状況であるのに、両者が都合よく「消費者はああだ、こうだ」とおっしゃるのはおかしい。仮に被害があっても、消費者は被害とは認識していないだろうし、規制の存在を知らなければ、それをどうこうしてほしい、という声は消費者側からおきるはずはありません。
 
 業界のみなさまがたが、消費者の意見を引き合いに出したいのなら、その法律の存在を広く知らせ、機関代理店問題も含めて、国民的議論にもっていかれたらどうですか。業界の中だけでゴチャゴチャもめていないでください。現状は、どうみても醜い縄張り争いにしかみえません。
 
 国民的議論に持っていくということは、保険業法でいいか、という問題でもあります。もうすぐ英国で施行される金融サービス市場法のような、横断的かつ消費者保護の観点にたったルールづくりに両業界が力を注ぐことが、消費者の真の信頼を得ることにつながると思います。「規制緩和」の「規制」という語彙がまずいと、生保業界では「構成員契約ルール」と呼び変えているようですが、呼びかえるのでなく、もっとすすんだルールを作っていただきたいと思います。
 
 消費者にとっては、販売業者が銀行であろうが、生保であろうが、損保であろうが、勤務先の人間であろうが、同じルールの元で、消費者利益のために競ってくださるのがのぞましい。1日も早く、業法による規制から、市場ルール、取引ルールを遵守した競い合いに移行すべきと思います。真に消費者の利益を考えてくださるならば、新しいルールづくり=日本版金融サービス市場法の創設=に向けてご尽力ください。(2001年9月17日 中立・かぐや姫)



●すべての選択権は個人に帰属する。消費者に選ばれるって、そんな簡単なことじゃない。
 かぐや姫さんに迎合して申し上げるわけではありませんが、規制緩和のありようだとか、制度がうんぬんと言っているヒマが我々にあるのでしょうか。日本経済の構造改善が求められる中、否応なく「市場」がリードする時代に変わっていくことは間違いないわけで、それ故にどの企業も顧客志向を謳っているのではないでしょうか。
 
 今一度「消費者が選択する時代」のありようを考えてみてはどうでしょうか。ただしアメリカを手本にしようという気はありません。私自身アメリカ的「資本主義」の全てが是で日本的規制のすべてが悪というつもりがないからです。アメリカの中にも多くの規制が存在するし、あるいはロビー活動という特定業界、特定企業への利益誘導活動が大手を振って行われています。
 
 では、「消費者、市場の主導経済」ってなんでしょうか。我々も思考方法と言うかアプローチの方法を少し変えてみましょう。簡単にいえば市場(資本)主義経済でやって行くと決めたのであれば(よく言われてきたように、日本は管理経済=社会主義的自由経済だったと思いますが)、まず、企業は「何をやっても自由」で、行政は一切関与しない、つまり規制はしない。その上で市場のリードにより、ダメな商品ダメな企業が淘汰されると言うシステムを導入するしかないということでしょう。

 その原則を続けながらどうしても消費者保護にかけるものがでてくれば、最低限の規制はやむをえないのですが。でなければ「自己責任」といったものは定着するはずもないし、本当の意味でのシビリアン=市民階層は生まれません(実は私自身はそうしたシビリアンを育ててこなかったにもかかわらず、自己責任という言葉だけが突然に金科玉条のごとくいわれ始めたことに疑問がないわけではありませんが)。その意味でかぐや姫さんのおっしゃる新しいルール作りには賛同します。 
 
 とにかく、従業員が上司の顔色をうかがって保険契約をしようが、自分自身で勉強して保険を選ぼうが、あるいは何かの義理で選ぼうがすべての選択権は個人に帰属します。厳しい言い方をすれば、その「選択」には誤りだってある。企業や、行政が「選択」を誤らないよう消費者を守ろう等といった論議をすること自体がナンセンス。それこそ、うぬぼれでは。 今我々が考えるべきことは、どうしたら消費者に選択してもらえるかだけではないのか。 支離滅裂かも知れませんが、構成員問題がどうなろうと大勢に影響する時代は終わったのではないかという気がしてならない今日この頃です。消費者に選ばれるってそんな簡単なことではないでしょう。(2001年9月23日 損保・長いものには巻かれろ)

●では、次の方ご意見をどうぞ。