●生命保険買い取り制度の問題点(06年3月22日)
 <生保売買訴訟で2審も名義変更認めず>
 生活困窮のため加入している生命保険の権利を生保買い取り業者に売却しようとした際、保険の契約者の名義変更を保険会社が拒否したのは不当として、埼玉県のがん患者の男性(51歳)が変更を認めるよう求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は22日、請求を退けた1審・東京地裁判決(05年11月)を支持し、原告側控訴を棄却した。
 南敏文裁判長は「買い取り会社が窮乏した契約者から不当に安く買い取るなどの問題が米国で指摘されており、同意拒否が保険会社の権利乱用とは言えない」と指摘した(3月22日付毎日新聞Webニュースより)。

<米国の生命保険買い取り制度>
1989年、国民皆保険の公的健康保険制度の無い米国で、エイズ患者が急増するなかで、主にエイズ治療の医療費を充足する目的で生命保険買い取り(バイアティカル・セツルメント=最後の晩餐の意)ビジネスが始まった(リビング・ベネフィット社)。
 最近では、子育てが終わったシニア世代の契約者を中心に、不要となった死亡保険などの契約を、解約して保険会社から解約返戻金を受け取るより、高額な一時金で買い取ってくれる買い取り会社に保険契約を売却する方法(ライフ・セツルメント)が多く利用されている。利用者は売却代金を老後の医療・介護資金に充当することが主な目的(日本では、契約先保険会社での転換制度により生存保障型の保険に見直す方法が多く利用されている)。
 買い取りの仲介は、独立系の保険代理店やファイナンシャルプランナーなどが主体となっている。04年時点で、全米の7割の州で保険買い取り業者の認可(免許)規制、買い取り規制、情報開示規制などの諸規制を設けており、全米保険監督庁による買い取り事業に対するモデル法規制もある。

<日本での買い取りビジネスと生保会社のスタンス>
 保険買い取りビジネスは日本では公式には認められておらず、したがって法規制もない。買い取りを前提とした第3者への名義変更を認める保険会社は現在無い。その主な理由は、@人の生命を対象とした保険契約を売買することには倫理上の問題がある。A売却を前提とした告知義務違反による保険加入や「売り手の早死期待が高まる」ことによる保険金殺人の発生など、モラルリスク(保険犯罪)の温床になる。B生活困窮状態の売り手の保険契約が買い手に買いたたかれる―などの問題を孕むため。
 また、逆ざや(利差損)契約を抱える大手生保会社では、子育てを終了し高額の死亡保障が不要になった団塊世代を中心としたシニア層の予定利率の高い死亡保険既契約を、予定利率の低い医療・介護保障など生存保障主体型の新しい保険に転換することで、契約量を稼ぎながら逆ざやを減らしていく営業政策を取っており、買い取りビジネスが参入することで転換主体の営業政策に影響を及ぼすことを懸念しているという事情もあると考えられる。
 一方、団塊世代の子育て終了や07年の一斉退職に目を当てて、保険会社による転換制度を嫌うシニア層のニーズの高まりをビジネスチャンスと捉えて、買い取りビジネスへの参入を目論む保険代理店などもある。

<法律上の争点・問題点>
 保険契約の根拠法となる商法や各社の保険約款において、契約者や保険金受取人の変更については、被保険者や保険会社の同意が必要と規定されている。保険契約は法律上、「双務性(保険会社の危険負担義務と契約者の保険料支払義務が対価関係にあり、互いに対価的な債務を負担する)・諾成性(当事者同士の意志の一致のみで成立する)」によるもので、これらが契約成立の主な要件となる。また、商取引上も「最高善意性(すべては当事者双方の信義誠実の原則に基づく)」が求められる。よって、一方の当事者である保険会社の同意がなく、第3者に保険契約を譲渡(名義変更)することはできない。
 本件は保険会社が同意を拒否した事例で、保険会社による同意拒否がその裁量権を逸脱して権利の濫用になるかどうかが争点になっているもので、1審では@同意の可否は、原則として保険会社の裁量にゆだねられている、A保険会社による同意拒否が裁量権を逸脱して権利の濫用に当たるとまで言えない、と判断された。
 これまでの裁判の結果では、法律上・保険規制上・保険契約手続き上の許諾根拠なく、保険契約の売買取引を進めた業者には商道徳上の問題があると言える。

<社会的な問題点・保険制度上の問題点>
1、日本では国民皆保険の公的医療保険制度があり、誰もが一定の医療サービスを享受できる。モラルリスクの多発懸念というデメリットを勘案した場合、公的医療インフラの異なる米国の買い取りビジネスの現況をもって、即日本での買い取りビジネス実施を是とするのは安易にすぎる。

2、保険に加入することによって得られる利益(被保険利益)の範囲は、基本的に近親者や会社など団体構成員の間に制限されなければならない。これがルーズになると、生命保険制度の創世記にみられたように、生命保険制度は容易に「殺人賭博」化する懸念があるからだ。契約者や受取人の名義変更について、約款あるいは保険会社の取り扱い内規で保険会社の同意・承認が必要と定めていても、いまなお、重大な保険金殺人事件が多発している現状に照らして、買い取りビジネスによる第3者への契約移転が許容できる保険環境にはない。

3、米国の買い取りビジネスでは、買い取り業者はその買い取った契約を投資商品として多くの購入者に転売する。買い取った契約で債券を発行し、証券化する例もみられる。購入者は当該契約の保険料を払い込む一方、死亡保険金を受け取る権利を持つ。このような仕組みからして、購入者は必然的に少ない投資額(購入額・支払保険料)で大きな利益(高利回り)を期待するようになる。すなわち契約を売った被保険者の早死にを期待するマーケットが組成され、保険金目的の殺人を生み出す反社会的な一大誘因が形成されることになる。

4、米国での買い取り価格はおおむね保険金額の50〜80%(被保険者の余命や病状などで異なる)で、買い取り業者が買いたたくほど、投資商品としての利回りが高まる。本件では、死亡保険金3000万円(後に2830万円に減額)の契約を850万円(別途850〜56万円の弔慰金を加算)で買い取る内容となっている。早死にする可能性の高いガンの末期患者や高齢者、生活困窮者が買い取り業者のターゲットになり、足下をみられて買いたたかれる懸念がある。

5、生活困窮者や年金生活者などの社会的弱者が悪意のある業者の餌食になる懸念すらある。昨今の年金ローンなどの被害事例をみるに、悪徳貸金業者が保険買い取りを悪用する可能性がある。融資の返済困難に陥った生活困窮者や年金生活者に対し、告知義務違反での生命保険の小口多重契約を強制し、これを業者が返済金と相殺したり、買いたたいて転売し利益を得ようとするケースも惹起するだろう。これに伴い一定期間後の被保険者への自殺強要や殺人事件も起こりうるだろう。

6、一方、契約転売先の購入者にもリスクが及ぶ。米国では、買い取り業者が購入者に対し、被保険者の「長生きのリスク」(支払保険料がかさみ元本割れするケースもある)を説明せず、買い取り業者が提訴された事例もある。公的医療・介護サービスが未整備な米国では売り手も高齢者、買い手も高齢者といういびつな取引関係も見られる。

<保険商品上の問題点>
 基本的に、契約者の持ち分と言えるのは積立金部分(責任準備金)であり、解約した場合は積立金部分が返戻される。いわゆる掛け捨て型の定期保険や定期保険特約の場合、保険金の大部分は他の契約者(契約先保険会社の保険集団)が払い込んだ危険保険料でまかなわれる。したがって、特に、この種の保険契約では、被保険者・契約者の個人的な事情のみで売買することは不適切と言える。

<日本の保険会社の問題点>
 上記のように、保険買い取りビジネスには多くの問題を胚胎するが、生保会社が自らの経営事情による過度の契約転換営業や保険金不払等による信頼低下を改善する自助努力を真摯に行わなければ、今後、シニア世代を中心に老後の資金運用の一環としてライフ・セツルメントを望むニーズが高まることが予想される。
 当面、生保会社は、@リビングニーズ特約創設以前締結の旧契約への同特約付加の取り扱い、A移植術・高度先進医療を含む現物給付型の医療・介護保険の創設、B将来的な課題として、医療診断技術の進歩に伴い、現行リビングニーズ特約が対応できない余命6ヶ月〜12ヶ月診断確定の死亡保険契約についての自社買い取り制度の創設アプローチ――を検討すべきではないか。

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